蟹江町鹿島地区の文学散歩道の桜並木です。佐屋川沿いに続く桜並木で冷たい風に晒されるのか蟹江町内でも一番遅れて花が咲きだします。
4月に入り不覚にも風邪を引いてダウンしてしまった水郷です。50歳を超えてから妙に季節の変わり目に風邪を引いてしまうようになってしまいました。写真は3月31日の文学散歩道の桜並木です。ちょうど桜は満開状態に近付きつつあった時、職場の昼休憩の際に並木散策に出かけてみました。
散歩沿いには桜並木と町内の有志が短歌や俳句を詠んだ木板が設置され、名前のとおり文学の散歩道となっています。
まだ8分咲きと言ったところでしょうか。
それでもかなり花着きが良いようですね。青空を背景に写真撮影です。
文学散歩道の桜並木は約700メートルほどの距離があるでしょうか。町内では一番長い桜並木です。
お昼休み時間、そして好天気でしたので、地元の方でしょうか?花見がてらの散策を楽しまれてみえました。
あちこちに車を停車されて、車内で弁当や昼寝をされているサラリーマンの方もみえましたよ。
この桜並木、昭和50年代後半に佐屋川沿いに植樹され約30年ほどが経過し、花姿も少しですが、優雅な中に重厚さも感じさせられるようになって来ています。
ピンク色の花びらの染井吉野、前々記事で紹介させていただきました純白色の薄墨桜とはまた異なった趣を感じさせられます。
この日は、暖かな感じで花見を楽しむには絶好の日和でした。
青空を背景も良いですが、水辺近くに垂れ下がる花々も優雅なものですね。
僅か30分ほどの散策での花見でしたが、存分に堪能することができましたよ。
文学散歩道最南端には、文豪吉川英治が詠んだ「佐屋川の 土手もみちかし 月こよひ」の文学碑があります。かつてこの地を訪れた吉川英治は、西に養老、北に伊吹、北東に遥か御嶽山に囲まれたこの地の景観を見て、「関東なれば筑波山近くの潮来あたりの景色」として、その水郷情緒を「東海の潮来」と絶賛されたと云われています。代表作「新平家物語」、「新書太閤記」、「宮本武蔵」などの著者として有名な吉川英治は、昭和17・18年頃、当町出身で中央公論社編集長佐藤観次郎氏の薦めにより当地に訪れたことに始まりました。昭和23年頃まで数度蟹江を訪れ、地元の有識者と友誼を深めたようです。ある晩、佐屋川河畔で「佐屋川の 土手もみちかし 月こよひ」の俳句を詠んだことから、英治逝去を契機に、交流のあった有志4名により蟹江川堤防沿いに文学碑が建立されました。昭和39年4月19日句碑完成建碑式には、来賓として英治未亡人文子様、弟吉川晋氏、「新平家物語」や「私本太平記」で挿絵を手がけた杉本健吉画伯が参列されています。
多分彼が愛でた水郷景観は秋から初冬あたりの景観だと思われますが、春の桜シーズンの蟹江もまた格別ですね。あれから5日ほど経過、ちょうど桜の見頃時期となっていることでしょう。
蟹江町内では、今日午後から尾張温泉郷通沿いで、明日は前回紹介させていただきました藤丸桜周辺で桜まつりが開催されます。今日は、晴天が拡がって、良い花見日和となりそうです。
水郷楽人の塵芥録HP版(クリックするとHPにジャンプします)
こちらは水郷楽人の塵芥録HP版です。蟹江町内の花シーズンが到来しました。遂に染井吉野が満開となり花シーズン本番となってきました。「水郷蟹江の花名所編」では、蟹江町内の花名所を紹介しています。よろしければご覧くださいね。