目の前を優雅な山鉾が通過しようとしています。日曜日に京都へと出かけ祇園前祭「山鉾巡行」見物に出かけました。
この日は午前7時過ぎにJR蟹江駅を出発、名古屋駅で新幹線に乗り換えて午前8時前に京都駅に到着しました。
地下鉄に乗って四条烏丸駅で下車、そこから暫く歩いて四条通と烏丸通が交差する地点に到着しました。蟹江を出発する際に雨は降っていませんでしたが、京都に到着したら雨が降りだし、写真のように四条通の歩道は雨傘でとても山鉾巡行をデジカメ撮影する状態ではありませんでした。幸いにリーチだけは長いのでスマホを高く伸ばして撮影してみることにしましたよ。約30分ほど押し合いしながら待っていたら先頭の長刀鉾の生稚児を勤める稚児が目の前を通り過ぎようとしていました。
現在、山鉾で唯一の生稚児役を務めるのは四条繁栄会商店街振興組合が発行する「祇園祭パンフレット」によれば、粂田龍志君とのことです。この役は前祭「くじ取らず」で前祭先頭を行く長刀鉾の巡行で四条通麩屋町に張られた注連縄(結界)を太刀で斬る「注連縄切り」を勤める重要な役割だそうです。
生稚児は長刀鉾前の梯子を聴衆に背中を向けて担がれながら登る途中で、くるりと回転し生稚児が聴衆に向かう「見返し」が行われ周囲から大きな拍手が湧き上がりました。
その後稚児一行は梯子を最上部まで登って生稚児が鎮座しました。やがて祭囃子が奏でられ、音頭取りの舞が披露されます。
暫くして麩屋町の結界を解く地点まで長刀鉾が前に進んでいきました。山鉾巡行が始まりました。周辺からは大きな拍手が沸き起こりました。
山鉾の巡行がスタートしました。まずは目の前を祭囃子を奏でながら長刀鉾が通過していきました。
次々に山鉾が目の前を通り過ぎていきます。これは5番目の函谷鉾でしょうか。
四条通は大賑わいで水郷が陣取ったのはちょうど歩道の中くらいの位置ですから、どれがどの山鉾なのかちょいと解り辛いポジションでした。
時間が経過すると皆さん、河原通での辻回し見物へと移動される方も見えるのか、撮影ポジションが段々前に進むことができましたよ。これは13番目の鶏鉾、鉾の上の三角の中の円形は諫鼓の中の鶏卵の意味だそうです。見送りは16世紀ベルギー製作の毛織で、江戸時代初期にに輸入されたものと考えられ国重要文化財に指定されているようです。音取役の迫出した演技に魅力を感じたので撮影してみました。
次々と山鉾が巡行していきました。生憎の雨模様もあり、掘り物や刺繍などを守るためにビニールの覆いが施されるなどちょいと見物には残念なところもありました。
写真は17番目の菊水鉾、町内にあった菊水井に因んで名づけられ、鉾頭には金色の菊花をつけている鉾だそうです。ここで当日いただきましたパンフレットをもとに祇園祭の由来などを解説してみたいと思います。祇園祭の起源は、貞観12(869)年、都を始め国々に疫病が流行し、人々はこれを牛頭天王の祟りとして恐れ、国の数と同じ66本の矛を立てて祭を執り行い、神輿を神泉苑に送って疫病退散を祈ったことに始まり、これが祇園御霊会(祇園会)と呼ばれるようになったようです。
前祭山鉾巡行の最後尾を勤める船鉾が近付いてきました。祇園祭は、南北朝の頃になると経済力を付けた町衆が鉾と並んで作り山や輿を建てるようになり、応仁の乱により一時中断するものの安土桃山以降、都の復興・有力商人の台頭とともに豪華絢爛な祭へと発展、千年以上の歴史を有する祇園祭は、東京の神田祭、大阪の天神祭とともに日本三大祭の一つに数えられ、ユネスコ無形文化遺産に登録されているとのことです。
菊水鉾から船鉾巡行までの間に多くの山鉾が通過していきましたが、多くの人だかりの間にいたので蒸し暑く感じて喫茶店に入り一休憩、その間は見逃してしまいました。四条通での巡行見物はあまりのも大勢の見物客ため今一つといった感じでした。
山鉾巡行の見所は河原町や御池通での辻回しなどありますが、水郷は新町通に移動することにしました。京町屋の残る狭い通りですが、何故が写真のように通り沿いには多くの方が集まり賑わっていました。ここからはデジカメで撮影することにしました。
警察官や警備員の方から何度も道路に引かれた白線より外側に立つように注意されました。そして暫くしたら山鉾が通に入ってきました。実は御池通で巡行披露した山鉾がこの新町通を通って各宿に戻ってくるとのことでした。先頭を巡行する長刀鉾が新町通に入ってきました。
これは四条通では見られないほど間近に山鉾が拝見できそうな感じです。道路の上には電線が張ってあるので通を通過するにも曳き手の塩梅は微妙なようで、警告通り白線に引いていた水郷の方にも曳手さんが入ってくるなど狭い通りでの巡行は難しいようでした。
目の前を囃子を奏でながら音頭取りが舞い長刀鉾が近付いてきました。
四条通とは違って身近に水郷の前を通過していきます。写真では撮影できませんでしたが鉾の車輪がとても大きく感じました。
長刀鉾の見送りは本年地元出身の画家、伊藤若冲生誕300年を記念して「旭日鳳凰図」を用いたものを新調したとのことでした。
狭い小路を次々に山鉾が通過していきます。これは2番の山伏山でしょうか。それとも3番の白楽天山でしょうか。写真整理しても両山とも形状がよく似ているので解りませんでした。( ;∀;)。。
次は函谷鉾です。中国の戦国時代斉の時代、孟嘗君が函谷関で家来に鶏の声の鳴き声を真似させて関門を開かせ難を免れた故事に因む鉾だそうです。そう言えば中学の漢文で学らんだ記憶があります。
こんな間近で鉾の巡行を見物できるとは思いませんでしたよ。実に優雅な感じの時間でした。
それにしても山鉾の数が多いですね。大小ありますが、それぞれ個性的でとても魅力てきでした。
山鉾の巡行を見物したつもりでしたが、芸能もまた見応えがありましたよ。これは四条傘鉾、明治4年以降絶えていたものが昭和60年に復活、踊りと囃子は室町時代に京都から広まった風流踊りで構成されているとのことです。子ども達も参加で面白い光景でした。
時間の経過とともに新町通は写真のように見物の方でごった返してきましたよ。その中を次々に山鉾が通過していきます。
山鉾巡行と言えば四条通・河原町通・御池大通での見物が一般的ですが、この新町通は、本当に祭見物には最高の場所ですね。
そんな感激を感じながら祭見物。月鉾が通過していきました。
新町通での山鉾巡行、実に優雅に感じる祭見物でしたよ。これは地方からパンフレット頼りで見物に来た方は解らない見所でしょうね。
山鉾で唯一カラクリが施されている蟷螂山が近付いてきました。生憎の天候もあり、ビニールに覆われカマキリのカラクリ実演が行われずちょいと残念な感じでした。
こちらは保昌山、こちらも雨除けのビニールの覆われていました。この日は梅雨最後の一日、もう一日早く梅雨明けしていると、もっと魅力あるものになっていたでしょうね。
綾傘鉾です。祇園祭と言えば山鉾に代表される優雅に動く御殿と囃子や舞で構成されていると感じでしたが、この綾傘鉾で水郷の祇園祭に対する固定概念が一変することになりましたよ。
京都の町文化を垣間見る一瞬で実に面白く感じましたよ。これについては、次へと続きます。よろしくお付き合いくださいね。