さて、新町通での山鉾巡行は続きます。狭い新町通を次々と山鉾が通過していきます。道路の白線外で最前列に陣取ることができました。目の前で山鉾が巡行する様子を拝見できるのが有難いです。京都祇園前祭「山鉾巡行」後編です。
四条通を出発、河原町通・御池通の大通で巡行を終えた山鉾は、山鉾町一帯の宿に帰るために新町通、一つ東の室町通の狭い小路をを巡行していくことのことです。この一帯に足を運んだところ、大勢の見物客の方が待ち伏せしている状態でしてよ。前編で紹介させていただいたように半分の山鉾が通過していきました。そしてやってきたのは綾傘鉾、名前は鉾ですが、実に簡素な感じの行列でした。
パンフレットによれば、現在の山鉾の形態が完成する以前の非常に珍しい「傘鉾」の形態をとる鉾で、風流と云われる作り物や芸能のもっとも基本的な形態を現在に残すとされています。つまり、山鉾の有形な飾りよりも無形の芸能を重視したと言ったところなのでしょう。
水郷が祭見物で立ち止った地点は、どうも宿なのか町衆の有力な方の屋敷前だったのか良く解りませんが、綾傘鉾の一行が立ち止って屋敷前で芸能の披露を行い始めました。
パンプレットの解説どおり彩傘鉾は、現在の山鉾が完成する以前の非常に珍しい「傘鉾」ですね。
まさに「風流」という言葉がピッタリの形態を備えた伝統芸能でした。豪華な有形の山鉾資料より無形の京都伝統芸能を重視した感じで見応えがありましたよ。
この披露を間近に拝見しましたが、とても迫力もあり躍動感あふれる演技(伝統芸能)でしたよ。
他の町内宿なのか花(寄付金)を切った町衆の方か良く解りませんが、当主の前での演技披露が続きます。
水郷、これは知らずに陣取っていましたが、一番良いところで演技を拝見することができました。
ジックリと演技を拝見することができました。まさに天晴と言った感じでした。
演技の披露が終わり傘鉾巡行は宿元へと進んでいきました。この鉾は神霊の動座の大きな傘と疫神や災いを追い払う棒降振り囃子で巡行するとのことでした。
次々と狭い新町通を山鉾が通過していきました。これは冒頭で紹介した霰天神山これについてはまた後述することにします。
新町通での山鉾巡行、彩傘鉾よりも少し前に戻りますが、鶏鉾が通過しようとしています。狭い道路白線内に控えているのですが、道路電線の塩梅もあって曳き手さんが白線内に入って、水郷は後ずさり、目の前を大きな車が通過していきました。
こんな身近で山鉾の巡行と祭囃子の披露が見物でき、祭気分も盛り上がってきましたよ。最初の四条通は遥か彼方での見物でしたからね。
山鉾には立派な幕が飾り付けられています。これも見所の一つですね。京都の伝統文化の中に、シルクロードや海の道での貿易と文化交流を感じさせられるような幕も多く飾り付けられていました。この見送りはトロイの王子と妻子の別れを描いた16世紀ベルギー製作の毛織で、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国重要文化財に指定されているとのことでした。
山鉾、どうしても豪華でサイズの大きな鉾に注目してしまいますが、山もそれぞれ個性があって見物しても面白いですね。
これは冒頭の写真で紹介した霰天神山でしょうか。永正年間京都で大火があった時、時ならぬ霰が降って火を鎮めたことに因む山だそうです。
四条通と烏丸通の交差点で最後に拝見した菊水鉾が近付いてきました。
菊の露を飲んで700際まで生き続けたという謡曲「菊慈童」の故事から来ているようです。
やはり貴賓を感じる見送り、これは平成28年新調の布袋をテーマにしたものだそうです。
菊水鉾の巡行後、新町通を離れて、雨天で拝見することができなかった蟷螂山宿へと移動することにしました。ちょうど巡行を終えて宿に帰ってきた山に巡り合えることができました。
新町通巡行の際は、ビニールの覆われていましたカラクリのカマキリの覆いが外されていました。
宿前で一回転するところを撮影してみました。
実は京都山鉾で唯一カラクリ実演を行うのは蟷螂山、中国の故事「蟷螂(カマキリ)の斧を以って隆車の隧を禦(ふさ)がんと欲す」に因み、カラクリ操作のカマキリが車に向かい前脚をあげて威嚇するように表現されたものだそうです。
祭宿へ到着、これで巡行は終わって行事はほぼ終了してほっとする瞬間でした。まだ解体作業が残っていますが、お疲れ様と言う一瞬でした。
蟷螂山のカラクリ実演は、名古屋の地方の技術が伝わっているようですね。写真左は蟷螂山カラクリの修復と管理に携わっている名古屋在住の人形カラクリ師第9代玉屋庄兵衛先生が祭役として加わっていました。水郷記念撮影をお願いしましたよ。庄兵衛先生最初は良く解らなかったのですが、本日の水郷の衣装は、写真右のとおり、ユネスコ無形文化遺産登録を目指す蟹江町須成祭のポロシャツを着用してきたので、直ぐに理解していただき記念撮影に御同意していただきました。
正午過ぎになると巡行を終えた山鉾が次々に各町内の宿へと戻ろうと四条通を通過していきました。
写真は菊水鉾が辻回しを行い宿へと引きかえすところです。
山鉾巡行最後も見所でもあるのでなかなか近づけずに遠くから拝見することになりました。これが見納めですからね。
時間をかけて少しずつですが辻回しで鉾が回転していきました。
写真を切り取り拡大してみました。辻回しの光景、初めてゆっくりと拝見させていただきました。
辻回しを終えた菊水鉾は四条通に入り、宿へと帰っていきました。
巡行の殿鉾「船鉾」はまっすぐに通り過ぎていきました。これで本日の山鉾巡行行事は全て終了です。
船鉾の後を付いて最後の祭囃子奏上を拝見、再び四条通へと戻ってきました。やはり同じように鶏鉾宿(町屋・ちょういえ)で最後の祭囃子が奏でられていました。
これが今年最後の前祭山鉾での囃子奏上ですから皆さん名残惜しく見物されていましたよ。
祇園前祭「山鉾巡行」先頭の役目を果たしていた長刀鉾は写真のように解体作業が始まっていました。京都洛内の穢れを一気に引き入れる役目を果たす山鉾は、巡行を終えるとさっさと解体されるようですね。
この日の祭見物目的の山鉾巡行は無事終了しましたが、穢れの無くなった京都町中を八坂神社神輿がねり歩く「神幸祭」も見物していくことにしました。これについては次回に紹介したいと思います。雅の京都伝統文化、予想以上に熱気あふれる行事でした。よろしくお付き合いくださいね。