皆様如何GW後半戦をお過ごしでしょうか。水郷は趣味の家庭菜園や歴史散歩を楽しんでおります。子どもの日は滋賀県近江八幡市まで出かけてきました。目の前の水路を観光客を乗せた小舟が通り過ぎていきました。
- 歴史散歩
かねてから歴史と水郷の町である近江八幡には一度は訪ねてみたいと思っていました。例年だと津島の藤まつり見物に出かけるのですが、いい機会だと思い近江八幡へ出かけてみることにしました。蟹江からは蟹江ICから東名阪・新名神経由で竜王IC、岐阜羽島ICから名神経由で八日市ICという高速利用が常識なのですが、両経路とも交通情報でGW渋滞が激しいとのことなので断念しました。
そこで目を付けたのが三重県桑名市から滋賀県近江八幡市まで続く国道421号線(旧八風街道)、かつては途中の石榑峠が難所で「酷道」の一つとして有名でしたが、数年前に鈴鹿山脈を貫く石榑トンネルか開通したことにより随分と便利になったので、それを利用することにしました。
午前9時半過ぎに東名阪道蟹江ICを出発し桑名東ICで下車、桑名市からいなべ市に入り、石榑トンネルを目指しました。途中道路工事による片側交通規制がありましたが、それほど長いものでもなく石榑トンネルを通過して滋賀県東近江市に入りました。
トンネルを抜けて滋賀県側をスマホで撮影、写真左は石榑トンネル側、右は琵琶湖方面の近江盆地側です。写真のように両方面とも五月晴れ状態の滋賀県地方でした。青空と周辺の山々の新緑が良くマッチした感じでした。
蟹江を出発して約1時間ほどで道の駅「奥永源寺渓流の里」に到着、ここで休憩をとることにしました。周辺にはキャンプ場や渓流釣り場があって賑わっていました。これからは水辺が恋しくなる季節ですね。
道の駅の建物は、かつての学校校舎を転用したものだそうです。この時期は旬を迎えた筍や蕨、いわなの塩焼き、甘露煮、特産品の永源寺蒟蒻などが販売され、おかみ様は早々と蕨をゲットしていましたよ。
周辺の山々にはまだ山桜が満開状態に咲いていました。一番近くで咲いていた山桜を撮影してみました。新緑が萌えつつあるなかでの山桜、とても見事でした。山藤もこれから咲き出すような雰囲気でしたよ。三重県側の方で咲いている山藤を拝見しましたが、まだこちらはこれからと言った感じです。
道の駅から更に西へと向かいました。途中に古刹永源寺がありますが、今回は目的ではないのでスルーすることにしました。紅葉の時期に出かけると良いようです。東近江市、八日市市を通過、蟹江を出発して約2時間ほどで近江八幡市に到着しました。街中に入りましたがGW真っ最中、市営の駐車場は満車状態で、ちょいと迂回しながら臨時の駐車場に停車して徒歩で街中を目指しました。
暫く歩くと大きな商家でしょうか。とても貫禄のある建物が見えるようになってきました。街中に到着した感じです。
まだ中心部ではないようですが、道路沿いにお店も目立つようになってきましたよ。
正午過ぎとなっていたので、まち歩き前に昼食を摂ることにしました。細い路地(仲屋町通り)に入り食べ物屋さんを探すことにしました。道路沿いにはとてもレトロな建物が続き、町屋カフェ、創作料理店や土産物売り場など改造されているものも多くありましたよ。
近江八幡と言えばやはり「鮒寿司」、「もろこの佃煮」や鮎を始めとした湖魚料理か「近江牛」といったところですね。水郷らは近江牛の名店である「近江牛まるたけ近江西川」さんに入ることにしましたが、やはり有名店なので写真のように行列状態でしたよ。仕方がありませんが、並ぶことにしました。
約30分ほどで順番が来て店内に入りました。すき焼きやしゃぶしゃぶ、焼き肉の御膳や弁当、ハンバーグセットなどがありましたが、近江牛のヒレステーキセットをオーダーすることにしました。まずはサラダが出てきましたよ。
暫くしてからメインのステーキが登場です。水郷はオプションでライス、おかみ様はパンを注文しました。お肉は120g、小食の水郷にはちょうど程よい量です。分厚く見えますがとても柔らかなお肉でしたよ。お店自慢の醤油だれも良いですが、水郷はバターとニンニクをお肉に乗せ、塩と胡椒、レモン汁を振りかけて大半をいただきました。くどく感じずにとても美味しくいただきました。(*^^)v。。ここで赤ワインかビールでもあれば最高でしたが、運転を担当してますから仕方がありません。v(^^;。。
〆はコーヒーをいただきました。ちょいと休憩できたので、ゆったりした気分に浸ることができましたよ。
食事を済ませて本格的にまち歩きを行うことにしました。本通りに続く狭い通りには随分と昔ながらの佇まいを残している建物が並んでいました。GW中ということで他府県ナンバーの車が多く通過していきます。前後左右注意しながら歩くことにしました。一度本通り(大杉町通り)に戻ることにします。
暫くすると近江商人の守護神とされる日牟禮八幡宮の鳥居に到着しました。多くの方が参拝に訪れているようでした。
その正面に見える建物は白雲閣(国登録有形文化財)です。明治10年近江商人たちにより、子どもの教育充実を図るために建てられた旧八幡東小学校の校舎だったものです。その費用のほとんどが寄付で賄われて建設されたとのことでした。現在は観光案内所・市民ギャラリーとして利用されているとのことでした。建物内を撮影しましたが、ピンボケしてしまいましたよ。( 一一)v。。
白雲閣見物を終えて再びまち歩きを行いました。それにしても暑く感じるようになって来ました。今日も25度を超えるような陽気になるようです。まち歩きにはちょいと辛いところです。
休憩がてら町の北側を東西に貫く八幡堀沿いの「石畳の小路」に涼みがてら行くことにしました。街中から琵琶湖へと続く八幡堀は、商人の町、近江八幡発展の礎となったお堀です。その前を「八幡掘めぐり」の遊覧船が通過していきました。
近江八幡が今日のように発展した契機は、戦国末期、織田信長死後に豊臣秀吉の甥である羽柴秀次(後の豊臣秀次)が八幡山にお城を築いたことに始まるとされています。
観光の方々でしょうか。お堀沿いの「石畳の小路」では散歩や座り込んでいる方々を多く見かけました。ちょうど木影となる部分があり、暑い中を歩き疲れた方には良い休憩場所でもあるようですね。
先程とは反対方面から観光客を乗せた小舟が通過していきました。水郷の町として有名な近江八幡、現在お堀はこのように町を観覧できるように活用されているのですね。
関東の潮来や香取、関西では伏見、九州の柳川でもこのような観覧船があるようですね。近江八幡の場合は、八幡堀を巡るコースもあれば、琵琶湖の葭原を巡るコースもあるようです。
スマホでビデオ撮影してみました。短編ですが、よろしければご覧くださいね。乗船しても良いかと思いましたが、今回は街中を歩くのが主目的なので止めることにしました。
一度大通りに出てきました。八幡堀沿いには写真のような昔ながらの大きな建物(西川甚五郎邸)が並んでいます。
再び違う通りから八幡掘に戻ることにしました。八幡堀に架かる「明治橋」から撮影を行いました。掘り両側には白壁の土蔵が多く見受けられます。
反対側の乗船場方面を撮影してみました。こちらも白壁の土蔵が多く見受けられます。話は戻りますが、築城の際に掘られた八幡堀、城主である秀次はこの堀を運河として利用することを考えたそうです。琵琶湖を往来する船を全て八幡の町に寄港させ、城下に楽市楽座(自由市場)を取り入れ安土から商人を移住させるなど商人の町として大いに活気づいたそうです。江戸時代には多くの商人が全国へと旅立ち、近江商人として活躍したとのことです。しかしながら昭和30年頃になると高度経済成長により生活の変化もあって八幡堀はドブ川のようになり一時は埋め立ての危機に瀕する状態となったようです。観光パンフレットによれば「八幡堀は埋めた瞬間から後悔が始まる」の合言葉によって市民による清掃活動や観光などへの活用が続けられて現在に至ったようです。
乗船場へと向かう途中に武者姿の方々がお昼でしょうか。湖魚を始めとする郷土料理で有名な「喜兵衛」さんの店内に入るところをみかけました。八幡堀周辺は「るろうに剣心実写版」などの時代劇や「ごちそうさん」「春が来た」などNHK朝ドラを始めとする映画やTVドラマのロケ地としても頻繁に利用されているとのことでした。先程紹介した明治橋周辺は特に撮影に利用されるとのことでした。
船着き場に到着しました。ちょうど船は出航してしまい周辺はヒッソリした状態でした。この周辺は市民の憩いの場でもあるとのことです。水郷の町の代表的な景観が残ることから写真や絵画の愛好家も数多く訪れているとのことでした。
八幡堀周辺の散策を終えて、再び街中方面へと歩くことにしました。小道両側には昔ながらの町屋が多く残されています。
近江八幡まち歩き前編はここまで。後編は大きな商家が残る新町通界隈のまち歩きなどを紹介させていただきます。お楽しみに。。