雲行きがかなり怪しいですが、車楽船上には、山車人形が飾り付けられています。先日は、蟹江町のお隣、津島市へ「尾張津島天王祭・朝祭」の見物に出かけました。津島天王祭は、大阪の天満天神祭、広島の宮島厳島神社の管弦祭と並び、日本三大川祭りの一つとされ、京都祇園祭と同じく「夏病み退散」の天王信仰による約500年の歴史を有する優雅な夏祭です。
午前8時半過ぎに蟹江町を出発、祭会場となる津島天王公園には9時前に到着しました。周辺の駐車場が予想以上に満タンとなって、見つけるのに手間取ってしまいました。
会場に到着した頃には、既に朝祭「一番車」である市江車が出船する時刻となってしまいましたよ。
大慌てで公園内に入りました。2番車、昨夜の宵祭1番車の米之座が出船していきます。
目の前を米之座車が通過していきました。市江車に次いで公園内の丸池に入っていきました。
ここから水郷も天王川公園西側沿いに歩き、公園の中島に陣取ることにします。2番車に次いで3番・4番車も天王川公園丸池内に入ってきました。
ここでカメラの望遠レンズを持参しなかったことを後悔することになります。思った以上に、池の幅があって船は池東側沿いを通過していくので、通常のレンズでは、思ったほど綺麗には撮影できません。
撮影した画像を切り取り拡大したところで鮮やかさで限界があります。ましてや、ドンヨリとした空模様ですから、もう少し事前に考えるべきでしたよ。
朝祭だけ出船する先頭の市江車に使いの小舟が訪れています。船の前部何やら旗らしいものが見受けられます。これは布鉾と云われるもので市江車車だけに許されたものです。
若衆「鉾持ち衆」の持つ「布鉾」は、悪霊、邪霊を打ち払う武器と考えられているようで、神が悪霊、邪霊を降伏させ、災難(疫病・飢饉)が起きないという思想があるようです。市江車から選抜された10人の若者が締め込み姿で川に飛び込み、布鉾を持って泳ぎ渡るとのことです。
まずは、先頭の鉾持ち若衆が公園内の御旅所に辿り着きました。
写真は、天王川公園丸池の北側にある津島神社御神体が神輿によってお越しになっている御旅所、多くの神官の方が鉾持ち衆などをお迎えしているようです。
輿還御の先払い、すなわち道を清めるという使いの役割もあります。一番目の鉾持ちの若衆が目の前を走り過ぎようとしています。
その後、2番、3番と次々に鉾持ちの若衆が通り過ぎていきました。なお、三番鉾が楼門前の反り橋に張られた注連縄を切りるとのことです。
やはり選抜された若衆と言うことだけあって走りすぎる姿も若々しいです。躍動感というものがありますね。なお、この布鉾は、この後、神社の拝殿前に奉納されるとのことです。
再び天王川公園内へと戻ります。写真左は1番車の市江車、既に着岸していました。2番車の米之座車も間もなく御旅所へ着岸しそうなところまで到着してきました。
出船した時間にはあまり風は吹いていなかったのですが、時間とともに風が強く吹き出してきました。なかなか思うように船が前に進まないという感じです。
朝祭には合計6艘の祭船が出船しています。3番車以降も中島を通過し近付いてきています。これから順次着岸し、稚児を始めとする祭役は下船して津島神社へと詣でることになります。
御旅所近くから一番車の市江車に飾り付けられている山車人形を撮影しました。前に竹柵が設置されているので上手く撮影することができませんでした。ちょいと残念な感じです。船に飾り付けられているのは、紅白の梅の花のようですね。
市江車に続き、二番車である米之座車も着岸しました。この後の車楽船も次々に着岸し、それぞれ稚児を始めとする祭役者衆が下船、御旅所から神輿とともに津島神社まで詣でることになります。
水郷は一足早く津島神社へと歩き、神社系内で待機することにしました。まだまだ、この時間は、祭見物を楽しまれる方々は天王川公園に集まっているので、境内は、それほど混雑していない状態でした。
この5月に献茶祭見物のために津島神社に訪れました。ちょうど藤祭が開催中で、とても賑わっていましたが、今はまだこんな状態で、落ち着いた雰囲気です。
折角神社に訪れましたので、先に参拝を行うことにします。古来から「西の祇園、東の津島」と云われ、天王信仰の総本山的な尊崇を集めた歴史を有する津島神社です。社殿の建物も、その歴史的な背景から豊臣秀吉や尾張徳川家から寄進により建造された由緒ある建造物などが立ち並んでいます。
時間が進むにつれて神社境内に多くの方が集まってきました。拝殿前には、祇園八坂神社と同じく「茅之輪」が設置されてます。夏病み退散の象徴ですね。水郷も輪を廻って夏病み防止を祈願しましたよ。
拝殿前には、三番鉾以降の布鉾が奉納されています。この布鉾から滴る水滴は、病気を治すとされる縁起物だとされているようです。
午前11時を過ぎました。そろそろ天王川の御旅所を出発した神輿や祭役者衆が神社に到達する時刻となって来ています。本日は天候が不安定で、時折強く吹く風によって祭船の着岸が手間取り、出発が遅れ気味になっているとの知らせがありました。
その中でようやく神輿を守る天狗の先導で一行が鳥居近くまで到着しました。段々と見物の方も多くなって周囲が賑わってきましたよ。
前日の宵祭の際に神社から御旅所に出向かれた神輿が再び神社へと還ってきました。そして和魂となって神社に鎮座されるとのことです。
神輿の後に稚児が続きます。一番車の市江車衆の稚児行列です。
市江車の稚児衆が到着、とても美しくて優雅な行列です。
一行は楼門を通過して神社拝殿へと進んでいきました。引き続き二番車の米之座の稚児衆が近付いてきました。
その後、三番車から六番車までの稚児衆が次々と水郷の前を通り過ぎてきました。とても時代絵巻という風情を感じる行列でした。
神社拝殿周辺は、いつの間にか大勢の見物の方々で大賑わいの状態となっていましたよ。
ここから拝殿内では市江衆から順次、祭囃子を奏楽していきます。写真は、一番車、市江衆による天王囃子奏楽の模様です。
天王囃子奏楽後、神社神官から稚児盃が行われ、市江衆が立ち去った後は順次、津島五車の稚児囃子奏楽、盃が行われて行くとのことです。
神社拝殿前で祭衆の天王囃子を聞き入っている間に天候が急変し、雨が降りだしてきました。市江衆の囃子奏曲を終えてから神社から立ち去ることにしました。大急ぎで神社参道からまち並みを歩いて行くことにします。ゆっくりとまち歩きを楽しみながら進みたいところですが、この天候では仕方がありません。
写真は国重要文化財の堀田家住宅、重厚な黒塗りの建物が歴史を感じさせますね。
例年ですとまだ船は山車人形や幕が飾り付けられているのですが、この雨で汚れたり、損傷してはいけないのか、慌ただしく撤去作業が行われていましたよ。祭の余韻を楽しみたいところでしたが、この天候では無理なようですね。それでも約500年を有する伝統文化を見物することができました。あまり暑くなかったことは、ある意味有難かったです。