夏の青空を背景に国宝姫路城天守閣を撮影してみました。別名白鷺城と云われていますが、平成の大修理が済んで、まさに白鷺のような感じの外観となっていました。
7月24日(金)は姫路城見物に出かけることにしました。一週間前の京都まち歩きは新幹線を使ったのですが、今回は自動車を利用することにしました。午前8時前に自宅近くの蟹江インターから東名阪道・新名神へ入りました。途中土山SAで一休憩です。ここまで約45分ほどで到着しました。
新名神高速から名神高速に入ります。一旦京滋バイパスを経由し、再度名神に入り京都府を通過、ここで午前9時半くらいだったので蟹江から約3時間ほどで姫路に到着できるのかと思っていました。ところが、名神から中国道に入るといきなり大渋滞です。ノロノロ運転で山陽道に入って淡河PAで二度目の休憩をとることにしました。ここからは割と順調に進むことが出来たのですが、姫路東IC近くになると、今度は事故渋滞に巻き込まれてしまいましたよ。少し苛立ってきたのですが、心を落ち着けて流れに従うことにしました。ようやく姫路市内に到達できたのは午後0時近く、予想よりも約1時間ほど遅れてしまいました。市街地に入ると遠くに姫路城が見えてきました。
市内も渋滞気味、信号待ちしている間にレンズを交換して姫路城天守閣を撮影してみましたよ。生憎電柱が邪魔で今一つの感じでした。
夏休みに入ってと言っても本日は平日、近くの駐車場にはすんなりと入ることができました。そこから道路を横断して城内へと入ることにしました。
歩道沿いには写真のように堀がめぐらしてあります。ここからは石垣が邪魔して天守があまり良く見えませんでした。でも何となく無事に到着した安堵感はありましたよ。
写真は大手門です。ここからは城内です。見学を終えた方、これから見学に向かう方などで大賑わいです。この暑さのため、日傘をさしている方が目立ちました。
三の丸公園に進んできました。かつては向屋敷や御殿がありましたが、現存せずに公園になっています。それにしても広い敷地です。さぞや立派な御殿だったのでしょうね。
間近に天守群が見えてきましたよ。有名な大天守、保存修理が済んで真っ白な外観になっています。
その周りを小天守が取り囲むように配列されています。見事です。
大天守を始めとする建物を支える石垣群も見事ですね。やはり国宝、そして世界文化遺産に登録されているだけのことがありますね。
実は先程の写真は望遠レンズを使って撮影したもので、実際はまだまだこんな所に留まっています。坂を上ると城郭に入る受付がありました。まだまだ天守閣には遠いです。それにしてもこの暑さ、この段階で相当体に堪える状態でした。
受付を済ませて目の前に見えてきたのは「菱の門」です。城郭の表門にあたり片側だけ石垣にのる珍しい安土桃山様式の城門です。正面の冠木に名前の由来となっている木製の「花菱」が飾られています。
そこから坂が続きます。段々と天守閣が近付いてきました。姫路城は旧播磨の国のほぼ中央部に位置し、歴史的にも戦略的な要衝地でした。室町時代は守護の赤松氏の館として、戦国時代は黒田官兵衛に代表する黒田氏の居城でした。豊臣秀吉の中国攻めの拠点として重要な役割を果たしました。「本能寺の変」後、秀吉の「中国大返し」際には、備前国と摂津国の中間地となり一時兵を休ませる基地ともなりました。
写真のような階段と登り坂、この暑さもあって一歩一歩がとても辛く感じます。楽では有事の際にあっと言う間に落城してしまいますから、きついのは当たり前と言う感じでしょうか。
ようやく天守閣群の石垣部分まで到達することができました。
それにしても凄い石積みの石垣ですね。これはとてもよじ登ることは出来ないです。当時の石積みの技術の高さを実感させられます。
天守閣前では長い行列となりましたが、何とか天守閣内に入ることができました。層内には姫路城に関する資料などが陳列されていました。江戸時代の歴代藩主が城の修理の際に使用した瓦などを拝見、いろんな特徴があるようで面白いです。
天守閣内は勿論薄暗く階段も急な感じで一段と足元に気を付けないといけません。大天守を支える2本の大柱は凄く太いものが使用されて圧倒されました。ようやく最上階(6階)に到着しました。窓からはとても涼しい風が吹き寄せています。最上階には城山の「地の神」を祀る長壁(刑部)神社があり、皆さんが参拝されていましたよ。
最上階から外を眺めてみました。これも長い行列でなかなか拝見することができませんでしたが、何とか順番が廻ってきました。南側、遠くに播磨灘(瀬戸内海)を眺めることができました。涼しい風は、どうやら海風のようですね。目の前の公園は、最初に辿り着いた三の丸公園です。
一つ西側の窓から眺めてみました。下に見えるのは西の丸です。目の前は先ほど通過した菱の門です。
約30分ほど天守閣に留まり外に出てきました。そして天守を見上げながら写真撮影を行いました。
少し移動するだけで天守のイメージが変わって見えるのが魅力的に感じました。
天守石垣の下、備前丸に降りてきました。青空を背景にした白い漆喰塗りの大天守が素晴らしく感じました。
大天守を正面から写真撮影です。さて、姫路城の歴史ですが、豊臣政権下では一族の木下氏が一帯を治めていましたが、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後は、徳川系の池田輝政が入場し播磨国を領国とします。この役目は、大阪の豊臣氏を監視することで、姫路の池田氏と彦根の井伊氏、そして津の藤堂氏が、家康から命じられてそれぞれ配置されたとのことです。
輝政は豊臣秀頼の居城である大阪城を規模的にも圧倒させる大天守閣群を築城したとのことです。豊臣の権威をけん制する威圧的な役割もあったようです。
平成の大修理により大天守の瓦も白壁同様に白く塗られ、築城当時に姿に戻されたとのことです。
屋根の最上部には雌雄の鯱が備え付けられています。遠くなので良く解りませんが、名古屋城のような金鯱では無いようです。
天守とともにその重量を支える石垣部分の斜面も綺麗な姿ですね。築城背景の歴史は緊張したものなど、いろいろありますが、この優雅さを拝見するとそんなことも忘れてしまいます。
備前丸から三の丸公園へと帰ることにしました。次は当然下り坂、登坂以上に足元に気を付けないといけません。
写真は、播州皿屋敷で有名なお菊さんの井戸だそうです。説明板を拝見、お菊事件が起こったのは戦国時代なのですね。私は今まで江戸時代に起こったものだと思い込んでいましたよ。
次は菱の門から西の丸へ移動し、そこから天守閣を撮影してみました。
また違った趣のある姿に感じます。この城の魅力の一つですね。
豊臣氏滅亡後、姫路を治める藩主は、池田氏→本多氏→松平氏→榊原氏など、次々と交代したようですね。代々の藩主にとって、この城を維持管理するのは膨大な経費を要するので悩みの種でもあったとのことでした。
大手門を通り過ぎて場外へと出てきました。約2時間ほど城内にいたようですね。駐車場近くにお土産の専門店・レストランなどが並んでいたので立ち寄ることにしました。それにしてもこの日の姫路一帯は蒸し暑かったです。
あまり食欲も無いので簡単なものを摂ることにしました。調べたら地ラーメンで「姫路ラーメン」というのが存在するようです。この一帯は醤油の産地でもあり、数年前から姫路ラーメンと銘打って売り出しているとのことでした。写真は残念ながら姫路ラーメンの特色を供えていないようです。ちょいとガッカリでした。
この後お土産を購入し帰路につくことにしました。帰りもやはり中国道宝塚あたりで大渋滞、その後は順調に進みましたが、やはり日中の行動でちょいと疲れ気味なので慎重な運転で帰ってきたので、やはり4時間ほどかかってしまいました。この日は往復で約8時間、姫路ではたったの3時間ほど過ごしただけでした。それでも見事に修復された姫路城は、やはり日本を代表する文化遺産ですね。そんなことをシミジミと感じる一日でした。
水郷楽人の塵芥録HP版(クリックするとHPにジャンプします)
本日から8月がスタートです。今月もよろしくお付き合いくださいね。こちらは水郷楽人の塵芥録HP版です。水郷の地元、蟹江町須成地区の約100日間に及ぶ一連の祭事は、2012年3月「須成祭の車楽船行事と神葭流し」として国重要無形民俗文化財に指定されました。現在須成祭は、文化庁がユネスコに推薦した日本文化を代表する「山・鉾・屋台行事」33件の一つとして無形文化遺産登録に提案中の由緒ある夏祭です。いよいよ本日は車楽船行事の「宵祭」、翌日に「朝祭」が執り行われます。更に翌々日の月曜日早朝には、神葭流し行事が執り行われます。HP版では須成祭の様子も紹介しています。よろしければご覧くださいね。。