師走と云う慌ただしい中、あっという間に今年も残り僅かとなっております。blogの方は、未だに霜月の半ばで停滞気味、初冬の京都まち歩き伏見編です。写真は旅籠「寺田屋」、坂本龍馬に所縁のある建物です。
東寺を正午頃出発し、九条通から竹田街道に入り南下、途中から道幅が狭くなるので奈良街道へ迂回して宇治川右岸堤道路から伏見へと入りました。この一帯は、豊臣秀吉以来、京都・大阪間を結ぶ水運の街として栄えた歴史を有する町です。また、「伏見の女酒」の産地として「灘の男酒」に対抗した酒蔵の町でもあります。その歴史を物語るような建物群が、町並みに残されていました。
この建物は、かつての酒蔵を活用した鳥料理の専門店「鳥せい本店」です。ここでお昼を摂るつもりでしたが、月曜日は、定休日ということで入店することができませんでした。ちょいと残念なところです。
少し歩くと、伏見の酒造りを代表する蔵元の一つ、月桂冠の酒蔵が見えてきました。看板には冬の間に、酒蔵開放を行う日が紹介されていましたよ。酒蔵沿いの道を散策しながら町並み見物を楽しんで行くことにしました。
暫く歩くと宇治川派流(濠川)に架かる橋に辿り着きました。豊臣秀吉が築いた伏見城の外堀の役目を果たし、江戸時代は宿場町、水運の要衝地(港町)として賑わいを作る原点、この外堀を運河として利用し、町並みが形成されてきたとのことです。橋の東側、川に浮かぶのは十石船、当寺の水運に利用されたサイズの船を復元して現在は周遊船として利用しているようです。
橋の西側には十石船の乗船場がありました。毎年4月1日~11月30日の期間中、運河を十石船で遊覧できるようですが、この日は月曜日で運休日とのことでした。かつて水運の街として栄えた伏見界隈を、運河側から眺めることができるようですが、運休日なので仕方がありません。運河沿いには、桜や柳が植樹されて、古き港町の情緒を感じることができるようです。
写真の建物は、先程紹介した月桂冠の建物、造り酒屋らしい杉玉が玄関軒下に飾られていました。今は月桂冠大倉記念館として一般開放されている酒に関する資料館です。伏見の酒造りを理解するには良い建物なので、立ち寄って見学することにしました。
建物内に入ります。写真は帳場、明治時代のものを復元したとのことです。
受付を済ませて見学を行うことにしました。中庭には写真のような湧き水場があります。酒造りには欠かせない水、そして伏見の地名に由来する伏流水(地下水)が湧いていました。口に含んでみましたが、とてもまろやかさを感じるお水でしたよ。一升の酒を造るのに、八升の水が必要と云われる酒造りの基礎となった豊富な湧き水の存在と蔵人たちの努力が加わり伏見の酒造りを支えてきたとのことです。
中庭から内蔵酒造場の建物を撮影しました。白壁の土蔵、そしてレンガ造りの煙突が歴史を感じさせられます。月桂冠株式会社は、受付でいただきました資料によれば、初代大倉治右衛門が1637年、京都の南部笠置から伏見に出て酒屋を開業したことに始まるとのことです。当初は「笠置屋」の屋号で開業、最初の酒銘を「玉の泉」と命名、勝利と栄光のシンボル「月桂冠」が銘柄として誕生するのは、1905年(明治38年)のことだそうです。現在は米国を始め世界各国で販売され日本酒のブランドとなっているとのことでした。
中庭から展示室Ⅰに入ります。江戸時代の酒造りを描いたパネルとともに酒造りの工程が理解できる用具類が展示されていました。当時の職人たちの技をうかがい知れる展示でした。
こちらは展示室Ⅱの模様です。樽酒から壜(ビン)詰酒への変遷や商品資料、明治以降の広告宣伝ポスター、書画や歴史を偲ぶ資料など、月桂冠の歩みを振り返ることのできる資料が展示されています。
この資料館には、京都市有形民俗文化財に指定された6,120点に及ぶ酒造資料から代表的なものが展示されているとのことでした。見学最後には利き酒(試飲)コーナーも設けられていました。残念ながら、本日は自動車を運転しているので、これは断念です。代わりにおかみ様に利き酒をしていただきました。3種類のお酒を味わうことができ、クラッシックボトルもあって面白そうでした。
資料館見学を終えて周辺を散策することにしました。資料館内にも売店があるのですが、こちらの建物でお土産を調達することにしました。この建物は月桂冠旧本社だったもので、現在は「伏見夢百衆」としてティールームがあり、伏見土産の販売を行っています。取り敢えず店内を見物のみ行いました。まだ、伏見界隈を散策する予定なので、帰りに立ち寄ることにしました。
再び伏見の町並みを見物しながら歩くことにしました。道路沿いにはまだまだ古い町屋が残されています。平日なので、あまり人混みがないのが助かります。
途中で団体の方が何やら写真撮影を行っていました。皆さん運河沿いの酒蔵を撮影されているようです。水郷も真似して記念撮影を行いました。
暫く歩くと冒頭でも紹介させていただきました旅籠「寺田屋」に到着です。幕末から維新にかけて、各藩の志士達が集ったことでも有名な旅籠ですね。
幕末から維新にかけての歴史は、特に好きなので、水郷も中を見学させていただくことにしましたよ。寺田屋と言えば、歴史の教科書にも登場する「寺田屋事件」と「坂本龍馬襲撃事件」で有名ですね。受付でいただきました資料によれば、寺田屋は慶長2年に伊助が船宿を開いたことに始まるとのことです。屋号は、伊助出身の寺田村に由来するとのことです。大阪から京へ向かう船着場に隣接し、とても繁盛していたようです。特に薩摩藩から定宿の指定を受けて賑わったようです。その関係から1862年(文久2年)4月、討幕挙兵計画を図った薩摩藩士の急進派志士9名が犠牲となった「寺田屋事件」が発生したとのことでした。
室内には坂本龍馬や中岡慎太郎の写真が掲げられています。土佐藩出身の坂本らは薩摩藩の紹介もあって寺田屋を京に立ち寄る際の宿として利用していたようです。
進路に従い室内を順次見物していくことにしました。狭い階段を登っ宿泊専用部分の2階から見学していきました。襖によって多くの部屋に仕切られていますが、天候や川の状況で客が泊まる時は、各部屋の襖を外して大部屋として使ったとのことです。
各部屋には、坂本龍馬や薩摩藩に関する資料も展示されていました。
こちらは龍馬愛用の「梅ノ間」の様子です。掛け軸は、身に押し寄せる危険を感じた龍馬に、女主人のお登勢が奨めて街の画家に描かせた龍馬の肖像画です。これは複製かな。。本物を拝見するのは有難いですが、紫外線などで資料劣化しないかと心配なところです。この画像は、京都丸山公園内に建立されている龍馬銅像のモデルにもなっているようです。
「梅ノ間」近くの柱には刀による傷が残されています。1866年(慶応2年)1月23日、反幕府志士を取り締まる伏見奉行所の幕吏一団が坂本龍馬を襲撃した際の物かは解りませんでした。
階段を下りて見えてきたのは、お風呂です。坂本龍馬襲撃事件の際に、お龍さんが入浴していて、裸で竜馬に急を知らせたことで有名ですね。その後、寺田屋の女主人「お登勢」の部屋、洗面所、台所なども見物しました。台所にある太い柱は、定宿としていた薩摩藩主島津家からの拝領品だそうです。現在、屋内は旅館として改造されていますが、資料に描かれている宿配置図は、当時の状況を、第14代寺田屋伊助の考証により復元したものだそうです。
寺田屋見物を終えて一休憩し、再び界隈を散策することにしました。写真は、大阪と京都間の通船「三十石船」の京都側の発着地にあたる南浜です。現在も、この地点から三十石船が期間中運行され、運河を周遊できるとのことでした。
その近くに石碑がありました。幕末に薩摩藩と幕府が激突した「伏見口の戦い」の激戦地跡の石碑でした。この戦いで反幕府勢力が勝利し、徳川勢力が崩壊する歴史の転換点となった戦いでもありますね。
その近くは、写真のとおりの石碑が設置されていました。この地に伏見長州藩邸があったようです。そう言えば、途中にあった伏見土佐藩邸には、立ち寄ることを忘れていましたよ。
寺田屋まで戻り狭い商店街に入ることにしました。この界隈は「竜馬通り」と名付けられているようです。
自動車は入れないくらいの細い通路です。両脇には竜馬に関するグッズが販売されていましたよ。気付きませんでしたが、龍馬館があったようです。
暫く歩くと、辻があり、こちらも酒蔵のような建物がありました。こちらは、やはり有名な伏見の酒蔵の一つ「黄桜」さんが経営する地ビールと和食レストラン&資料館の「キザグラカッパカントリー・黄桜記念館」でした。少し見物程度に立ち寄りましたが、資料館内はパスすることにしましたよ。
気が付けば、もう午後3時近くになっていましたよ。昼食を摂る機会がありませんでした。あれこれ見たのですが、商店街で餃子の王将の看板を発見、名古屋周辺にもあるのですが、京都発祥のお店なのでここで昼食を摂ることにしましたよ。チャーハンにしようと思ったのですが、写真のようにラーメンをオーダーしました。餃子はパスしました。ラーメンは、どちらかと言えばコッテリしたお味でした。それにしても今年は、歴史散歩編でラーメンが良く登場しますね。(^^;。。
遅い昼食を済ませて、ふたたび「まち歩き」です。近代的なマンション群と昔ながらの町屋、それにしても間口が長く大きなお屋敷でした。
最後に訪れたのは、写真のお寺です。幼稚園と隣接していました。こちらには伏見会津藩邸が置かれていたようです。この後、駐車場に引き返し、先程紹介した土産物売り場へと移動しました。
酒造と水運で栄えた伏見の町、結構歩くところがあって面白いですね。もっと暖かな時期に訪れて、十石船や三十石船に乗船し、周遊を楽しむのも良いかもしれません。伏見周辺には、京都中心部へと接続するJR奈良線の他、京阪本線、近鉄京都線の駅があり、交通の便に恵まれている地ですから、ドンドンと都市化が進みそうな感じでした。
伏見を離れて竹田街道を北上することにしました。途中に立ち寄ったのは、招徳酒造さんです。こちらで気に入った地酒を購入していくことにしましたよ。招徳酒造さんは、1645年(正保2年)には洛中で酒造業を営んでいましたが、大正末期に京都市の都市計画のために、名水の地と知られる伏見の現在地に移転してきた歴史を有するそうです。HPで事前学習をしている際に、酒瓶のデザインが可愛いので立ち寄って購入することにしましたよ。
平日なので道路渋滞も無く順調に進むことができました。まだ蟹江に帰るには時間的に余裕があるので、一ヵ所立ち寄って行くことにしました。初冬の京都まち歩き編は、まだまだ続きます。よろしくお付き合いくださいね。