真冬の京都まち歩きから一週間が経過しようとしています。写真は鹿苑寺の通称「金閣」です。数日後に一帯が、銀世界の雪景色に覆われるなどとは想像できない景色が拡がっていました。
前編では、昼食後に平安神宮から「哲学の道」を歩き、銀閣寺に到達するまでを紹介させていただきましたね。後編は、銀閣寺参観からスタートします。総門を潜りぬけて銀閣寺垣と云われている参道を進み中門で受付を済ませました。
銀閣寺境内に入り庫裡横の庭園を見物しながら進むと方丈が見えてきました。方丈(本堂)内は一般公開はされていないようです。堂内には池大雅や与謝蕪村筆の襖があるようです。
一般に「銀閣」と云われているのは、この建物ですね。受付でいただいた資料によれば、正式には観音堂と言うそうです。国宝の指定を受けた建物です。
銀閣寺庭園で特に有名なのは、写真の砂盛りされた向月台、高さは約180㎝程度、月を愛でるために後に作られたとされますが、その目的などははっきりしていないとのことです。
こちらは銀沙灘と云われる砂盛り、銀沙灘の「灘」は中国の西湖を著わしているとのことで、月の光を反射させるために造営されたものとされていますが、こちらもはっきりはしていないとのことです。
なお、向月台や銀沙灘に使用されている砂は「白川砂」といわれる京都特産の砂で、光の反射率が高いことでも有名な砂だそうです。いずれにしてもこの庭は、月の光をかなり意識した造りになっているようです。教科書では、義満の金閣寺に倣って黒漆で塗った後に銀箔を貼る予定だったのが、資金不足で諦めたなどと解説されていますが、最近の建物等周辺調査では、この反射率を利用し、月明りを白砂に反射させ黒漆の建物全体に照らして銀色を現そうという義政の意図があったとの説もあるようです。これはあくまでも仮説で未だに謎ですが。。どうなんでしょうね。散策中に庭を手入れされている方を見かけましたが、白砂など庭の手入れは、毎日行っているとのことでした。
銀沙灘反対方向から方丈を写真撮影してみました。ここで銀閣寺の歴史について、受付でいただきました資料をもとに紹介させていただきます。銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、建立は文明14年(1482)室町幕府八代将軍足利義政によるものです。歴史的には、応仁の乱が文明9年に終了してから暫く経過した時代で、兵火のため京都市内は大きく荒廃・疲弊した時代でもあります。
池の向こうに見えるのは東求堂、現存する書院造の建物では最古のもので国宝に指定されています。ここからは回遊式の庭園内を散策することにしました。政治に嫌気がさした義政は、東山のこの地に隠遁、祖父の足利義満の北山殿金閣(鹿苑寺)に倣って、山荘東山殿を造営し、東山殿が後に銀閣の発祥となったとのことです。
写真左は洗月泉、ぽとぽとと綺麗な湧き水滝のように落ちていました。右はお茶会に今でも使用されているといわれるお茶の井へ向かう坂道です。周囲の庭園は、冬ですが緑色した苔で覆われてシットリした感じでした。
庭園の山道の最上部に到達しました。ここで銀閣寺周辺の撮影を行いました。東山の木々に囲まれた東山殿境内が一目できます。銀閣寺は俗称で、正式には義政の法号慈照院に因み慈照寺と云います。
義政好みの東山殿は、後に東山文化の発祥の地となり、日本人の近世的生活文化の発端をなしているとされています。
今もなお、銀閣寺には東山文化と禅宗文化の結合をみることができるとされています。周囲の庭園を巡りながら銀閣を眺めます。本当に落ち着いた雰囲気の古刹でした。
でも、義政は、あまりにも政治を疎かにするほどこの世界にのめり込んだため、当時の天皇に叱責もされているようで、治政の公としては失格の将軍様だったようです。
銀閣寺の参観を終えて参道を戻ることにしました。参道沿いには多くのお店が並んでどこも賑わっていました。やっぱりメジャーな門前は違いますね。中国人観光客の方々も結構見かけました。参道を下りて、白川通へ入りました。まだ午後2時を過ぎたところなので、次の目的地へと移動することにしました。もう徒歩移動は辛いので、都心に縦横無尽に巡らされている路線バスを利用することにしました。銀閣寺道バス停から市バスに乗り込んで、地下鉄北大路駅経由で金閣寺を目指すことにしました。
金閣寺道バス停から歩いて金閣寺黒門に到達しました。こちらも多くの観光客で賑わっている状態です。
次は総門に至ります。皆さん、この門の前で記念撮影をされて見えました。どうやら中国人観光客の御一行様のようでした。
総門を通過し、受付へと向かいます。参道右側の大きな建物は庫裡だそうです。それにしても大きな建物です。
唐門で受付を済ませ、資料をいただき金閣寺庭園へと入りました。鏡湖池の向こうにキラキラと輝く金閣が見えてきました。池の周りには、多くの観光客の方が行列しながら写真撮影を行ってみえました。なかなか良いポジションを確保するのに苦労しましたよ。鏡湖池には葦原島など大小の島があって、松などが植樹されています。この方向での撮影では、松が邪魔して金閣が良い具合に撮影できませんでした。
少し行列を移動して撮影を行いました。こちらも手前の葦原島の松に邪魔をされてしまいましたよ。でも、水面に金閣寺が映っているので、まあ満足できました。
さて、金閣に近付くように参道を歩いて行きました。この位置からは金閣がハッキリと撮影できましたよ。そう言えば、金閣寺を訪れたのは小学校の修学旅行以来だと思います。随分とご無沙汰していました。
ここでレンズ交換を行って撮影してみました。金閣寺は三層構造になっているのですね。資料によれば、第一層は公家好みの寝殿造で法水院、第二層は武家好みの武家造で潮音堂、第三層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂と呼ばれているようです。
第一層には仏像が安置されているようでした。第二層と第三層には、漆の上から純金の箔が貼ってあることから金閣と称されているとのことです。
屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねたこけら葺で上には鳳凰が輝いています。
屋根頂部の鳳凰です。キラキラと輝く姿が見事でした。そう言えば銀閣の屋根頂部にも鳳凰が飾られていましたが、銀閣のものは青銅製だそうですよ。
池の反対側にあるのは方丈と書院です。その間にある松は「陸舟の松」と云われ、京都三松の一つで足利義満が自ら植えたと伝承されている松です。
写真は方丈(本堂)、現在写経場としても利用されている建物でした。こちらの方向からは近くに立ち寄れないようでした。
金閣周囲に拡がる庭園を散策することにしました。池の反対側の方向から金閣を撮影してみました。教科書や旅行パンフレットなどでも、こちらの方から撮影したものはなかなか拝見したことがありませんからね。それにしても見事な建物でした。金閣寺の寺名は通称名で正式には鹿苑寺と云い、臨済宗相国寺派の禅寺です。
銀閣寺同様、回遊式に造園されている庭園内の参道を歩いて行きます。写真左は庭園の様子、銀閣寺の参道とは異なり砂利道なので、道沿いの植物の葉が随分と埃交じり状態でした。写真右は、池の島に築かれた白蛇の塚です。さて、金閣寺のある北山の地は、鎌倉時代に西園寺家の別荘「北山第」がありましたが、室町幕府第三代将軍足利義満が気に入り、応永4年(1397)に西園寺家から譲り受け、山荘「北山殿」を造りました。金閣を中心とした庭園、建築は極楽浄土をこの世に現したと云われ、後小松天皇を招いたりしたそうです。足利義満の治世は、国内で反抗する山名、土岐、大内など有力な守護大名を次々と粛清・統制し、対外的には中国(明)との交易を盛んに行うなど、政治的にも経済的にも室町幕府の最盛期を築いた将軍としても有名ですね。金閣寺の池に配置されている細川石、赤松石、畠山石など守護大名が競って寄進した庭石に代表される義満への威信の恐れ、そして中国との交易で得た豊富な財力を使うことができたことにより造営されたもので、北山文化の中心地として繁栄してきました。義満没後、遺言によって夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名付けられたとのことです。
更に参道を進みます。写真の小さなお堂に到着したと思ったら「夕佳亭」と云われる茶室でした。資料によれば江戸時代の茶道家金森宗和が好んだとされる数寄屋造の茶席で、夕日に映える金閣が更に佳いと言うことから名付けられた茶室だそうです。正面の床柱が有名な「南天の床柱」、その右にある三角の棚が「萩の違棚」、中央の古木が「鶯宿梅」だそうです。質素な造りの建物で、煌びやかな金閣とは対照的な印象を受けました。
写真は不動堂、本尊は弘法大師作の石不動明王像と伝承され、霊験あらたかな秘仏として広く一般に信仰されているとのことでした。
約1時間ほど金閣寺境内の庭園を参観・散策しました。結構歩いたようです。金閣寺を後にして一休憩し、次の目的地に向かうことにしました。近くには大徳寺や龍安寺がありますが、今回は、梅が早くも開花したと報道されている北野天満宮に向かうことにしましたよ。金閣寺道バス停から市バス急行「洛バス」に乗車しました。幸い座席が空いていたので座ることができました。でも、向かう方向がちょいとおかしいことに気が付きました。何と目指す北野天満宮とは反対方向のバスに乗車したようで、終点北大路ターミナルに到着してしまいましたよ。ちょいと歩き疲れて集中力が無くなってきた感じです。( ;∀;)v。。気を取り直して、乗車場バス停に移動、直ぐに北野天満宮方面に向かう洛バスが来たので、乗車しました。洛バスは、観光地を結ぶ市バスで車内では、日本語の他、英語、中国語、韓国語での案内が行われている急行バスです。市バスと同じ230円で乗車でき、車内は案外空いているので京都まち歩きには助かる存在ですね。
北野天満宮前のバス停で下車して鳥居前に到着しました。午後4時前となって、ちょいと冷え込んだ感じとなって来ていましたよ。くどい様ですが、次回後編へと続きます。よろしくお付き合いくださいね。真冬編ですから立春までには、記事をアップしたいところです。v(^^;。。