真冬の京都まち歩きから2週間が経過しようとしています。この間、とても寒い日が続きましたね。蟹江地方は、2日ほど積雪に見舞われました。まち歩き最終章、よろしくお付き合いくださいね。
洛バスから下車して暫くすると北野天満宮一之鳥居が見えてきました。鳥居前には多くのタクシーが待機していましたよ。多分、京都駅方向からタクシーに乗車してきた受験生親子様などが利用されているのでしょうか。やはり学問の神様、菅原道真公を祀る天満宮ならではの光景ですね。結構歩いたので、ちょいとお疲れモードの水郷ですが、天満宮参拝のため参道を歩くことにしました。
参道を歩くと二之鳥居が見えてきました。その傍には牛が臥した姿の像(臥牛像)が安置されています。北野天満宮は過去三度ほど参拝のため訪ねたことがあります。そう言えば、この境内には多くの臥牛像が安置されていました。
暫くすると「文月大祖風月本主」の扁額と「申(猿)の絵馬」が飾られている楼門に辿り着きました。北野天満宮HPによれば、「文学大祖 風月本主」は、平安時代の学者慶滋保胤と大江匤衡が菅原道真公を讃えた言葉だそうです。
北野天満宮は、京都梅の名所としても有名ですね。境内のあちこちに梅が植樹されており、只今花が咲きだしていました。暖冬の影響で、かなり開花が早まっているとのことでした。
白梅の老樹と臥牛像を記念撮影しました。臥牛像が多いようですが、牛は天満宮においては神使(祭神の使者)とされています。その理由については、道真公の出生年は丑年であることなど諸説があるようです。
さて、臥牛像の周辺は、見ての通り梅の開花が随分と進んでいるような感じでした。写真の奥の建物は宝物殿、午後4時を過ぎて、もう閉館時間となっていたので、見物は断念しました。
更に進むと見えてきたのは三光門、国重要文化財の指定を受けている歴史的建造物です。伝承では日月星の彫刻が施されていることから名付けられたとされていますが、実際には星の彫刻は無いとされ、「星欠けの三光門」とも云われて「天神さんの七不思議」の一つとされているとのことでした。門参道の両脇沿いにも臥牛像が安置されて、参拝客の方が背中や頭を撫でていましたよ。ここで北野天満宮の由緒について簡単に説明したいと思います。祭神は平安時代の政治家であり学者でもある菅原道真公で、全国12000社にのぼる天満宮、天神社の総本社です。学者出身の道真公は、昌泰2年(899)右大臣に抜擢され、左大臣藤原時平とともに国政を主ることになりましたが、異例の出世は藤原氏の反感を買い、昌泰4年突如九州の太宰権師へと左遷され、僅か2年後に大宰府の配所で亡くなってしまいます。
三光門を潜り抜けると社殿に至ります。手前が拝殿、その奥に本殿、石の間、楽の間が連結された建物で、日本最古の八棟造(権現造)で国宝の指定を受けているとのことでした。現在の建物は、慶長12年(1607)造営されたものだそうです。由緒の続きですが、道長公逝去後、京都では藤原時平の急逝や禍事が続き、道真公の祟りによるものではないかとの噂がたったことから、それを鎮めるために天暦元年(947)北野の地に社殿を造営し道真公をお祀りしたことに始まるとのことです。永延元年(987)には、一条天皇の勅使が派遣、国家の平安が祈念されてこの時から「北野天満宮」の神号が認められたとのことです。
参拝を済ませて梅の花を観賞していくことにします。道真公は、梅をこよなく愛し、大宰権師左遷の際、自邸庭の梅の木を見ながら「東風吹かばにほいおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と詠んだとされ、その梅が道真公を慕って一晩のうちに大宰府に飛来したという伝説から梅が神紋となり、境内敷地には50種1500本の梅が植樹されているとのことです。
今シーズンは暖冬の影響もあって、正月過ぎから早咲きの品種が咲きだしたようです。
写真は、小さな花ですが、八重咲の清楚な感じの白梅です。
もう午後4時過ぎ、夕暮れ時となって写真も中途半端な感じで写ってしまいましたが、こちらは一重品種の白梅でした。
紅梅の方が花の進み具合が早いようです。大部分が開花していました。梅の花独特の良い香りが漂っています。
奥に見えるのは、その名の通り紅梅殿でしょうか。境内には摂社が多いのでよく解りませんが。。
近付いて撮影してみます。こちらも八重の品種でした。この3日ほど前から暖冬が一変し、急に寒さが厳しくなってきていました。
正月早々から咲きだしているとのことですが、花も敏感に寒さを感じて、それ以降の開花がストップしているようでした。この後2週間で2回ほど京都は雪景色になったようなので、梅の花も一段と縮込んでいることでしょうね。
参道を歩いて二之鳥居まで戻ってきました。午後5時近くになり、随分と暗さを感じて来ています。
2月上旬からは梅園が一般公開されるようですね。只今その準備のため、あちこち作業が行われていましたよ。立春以降が楽しみな感じでしたよ。
北野天満宮一之鳥居まで戻り、そこから歩道を暫く歩きました。見えてきたのは京福電鉄(嵐電)北野線「北野白梅町駅」の駅舎です。歩道を渡り、駅舎に向かうことにしました。
改札前で切符を購入(210円)してから改札を通ってホームに入場します。ちょうどモボ611型車両が停車中で、間もなく発車するとのことでしたので、急いで記念撮影を行い車内に入りました。座席はロングシート、運良く座ることができました。暫くすると運転手が車内に入り発車しました。どうやら車掌は乗車しないワンマン形式のようでした。北野線の路線自体は専用軌道のようでした。プチ鉄水郷にとり嵐電は、かねてから気になる存在でしたが、JR京都駅から離れた市北部に路線が位置するので、なかなか乗車することができませんでした。今回は、一人旅状態なので、この際乗車体験することにしましたよ。
もう疲れていたので、どれほどの時間乗車していたのか解りません。v(^^;。。車内は部活なのか試合を終えたのか解りませんが、休日にもかかわらずスポーツ服姿の女子中学生でワイワイガヤガヤと賑やかな状態でしたよ。北野線の沿線には、駅名で見えるように等持院、龍安寺、仁和寺など名刹が多いようです。桜のシーズンには沿線沿いに桜のトンネルができるようですね。やがて嵐山本線との合流点である帷子ノ辻駅に到着しました。この電車は、ここから再び白梅駅へと折り返していくようです。
この駅から嵐山本線電車に乗り換えて阪急京都線大宮駅へと向かうことにしました。暫くすると嵐山方面から電車が到着です。こちらも一両編成の単行電車、モボ631型車輛、車両のラッピングから井筒八ッ橋の夕子ちゃん号として運用されているものでした。観光地の嵐山方面から来たので車内は大混雑状態でしたよ。歩き疲れて足がガクガクの状態の水郷には、この車内は忍耐の限界を越えるようなので、終点四条大宮駅まで乗車するのを諦めて京都地下鉄との連絡駅である嵐電太秦天神川駅で下車することにしましたよ。この路線は併用軌道も多いような感じでした。
嵐電駅構内にある椅子に暫く座って一休憩後に、京都地下鉄東西線太秦天神川駅に向かい京都駅までの切符(260円)を購入しホームへ向かいました。ちょうど浜大津から乗り入れている京阪京津線車両に乗車しました。クロスシート車両で乗り心地は良かったです。烏丸大池駅で烏丸線に乗り換えて何とか京都駅に到着することができましたよ。時間はちょうど午後6時を過ぎていましたので京都駅周辺で夕食を摂ることにしました。折角なので、京都のラーメンを食していくことにしました。銀閣寺近くの一乗寺周辺は、天下一品や天天有、高安、天宝など、京都の有名ラーメン店がひしめく激戦地だったとのことですが、この時は「手をけ弁当」を食べたばかりの満腹状態でスルーしました。北野にも天下一品のお店がありましたが、数年前にJR嵯峨野線(山陰本線)二条駅前店で食したのでパスしてきました。駅に着いて、ちょうどお腹が空いてきたので京都駅周辺にある名店に立ち寄ることにしました。地下街を迷ってヨドバシカメラから七条通を暫く東方向へと歩いて行くことにしました。
約10分ほどで目的地に到着しました。既に大行列状態です。(@_@)。。写真は新福菜館本店、創業は昭和13年(1938)、京都ラーメンの老舗として有名なお店です。
こちらも大行列、隣接してあるのは、創業は昭和28年(1953)、やはり老舗の本家第一旭です。お隣同士で切磋琢磨されているようですね。両店とも行列に外国人旅行客も交じって実に国際的な雰囲気となっています。いずれのお店に入るも大行列、さてどうするか迷うところでした。
結局約20分ほど外で待っていただいたのは、新福菜館の中華そば(並)、一杯700円です。このお店のスープは独特の色をしていますね。(@_@)。。きっと味が濃いと思い込んでいただきましたが、意外とあっさりしたお味でしたよ。麺は中太のストレート麺でした。タップリとトッピングされたチャーシュー(焼豚)と九条葱の薬味のお味が素敵でした。とても美味しいラーメンでした。(^_-)-☆。。外での待ち時間が長かった分、体も温まり有難かったです。次回は本家第一旭の方に入ってみたいものです。
満腹状態で京都駅へと戻ることにしました。おかみ様一行は既に京都から名古屋へと向かっているとのこと、ライトアップされている京都タワーを見上げながら駅に引き返し、駅構内で職場へのお土産を購入して新幹線ホームへ入場しました。それにしても本日は、よく歩いた一日でした。
午後7時33分の新幹線「ひかり号」に乗車しました。乗車する前に記念撮影を行うことにしましたよ。
売店でビールを購入、普段は恵比寿ビールは高価なので、たまにしか購入しないものですが、この日は歩き疲れた体にご褒美のために購入していただくことにしましたよ。v(^^;。。ひかり号のわりに米原、岐阜羽島と各駅に停車する系統で、名古屋に到着する時間が余分にかかったような感じでした。でも、ビールをゆっくりと味わうにはちょうど良い感じでした。名古屋駅到着後、午後8時40分過ぎの関西本線「亀山行き」普通電車に乗車して蟹江へと戻りました。疲れ果てて車内で眠ってしまうのではないかと心配しましたが、それも無く、ちょうど午後9時に無事我が家に到着しました。
そう言えば、一昨年から京都まち歩きを楽しんでいる水郷です。蟹江から鉄道、高速でも約1時間半で到着できますからね。
約1000年の間、都が置かれた歴史文化の奥深さをまち歩きで実感させられるのが、京都まち歩きの楽しみ方です。
蟹江から近く、どうしても出かける際に京都を選んでしまいます。今年も京都のまち歩きを楽しんでみたいものです。
さて、今回の京都まち歩き関係資料を並べてみました。踊りは、おかみ様が見物したので関係ありませんが、いろんな寺院や神社に立ち寄ってきました。平安神宮や北野天満宮の資料はありませんが、よく歩いた一日でした。この夜は疲れ果てて爆睡状態。(-_-)zzz。。翌日が日曜日で良かったです。3日ほど筋肉痛でしたが、歴史の浪漫を感じる京都を歩いてきたので、後悔しないところが又良いですね。春以降も京都に訪れてまち歩きを楽しみたいものです。