巻藁船がちょうど中間の御葭橋まで辿り着きました。蟹江川では金魚花火が行われ祭り気分が盛り上がっていましたよ。2017年水郷の地元のお祭、須成祭見物です。
- 蟹江散策
この土日は須成祭の宵祭と朝祭が執り行われました。水郷は来賓の接待役として区公民館周辺に待機することになりました。宵祭は正午の「禊ぎ・多度参拝」に始まり、午後2時の「天王詣り・寺詣り」が執り行われています。午後7時半からは区公民館内で「宿囃子」が奏楽されました。
宿囃子の模様はスマホでビデオ撮影を行いました。よろしければご覧ください。
午後8時過ぎに宿囃子を終えた祭役衆一行は区公民館から蟹江川堤防を下流方向にある飾橋行列し、橋北に係留されている巻藁船に乗船します。巻藁船は飾橋を午後8時15分に出船し、須成神社のある上流へと向かいます。8時半過ぎに区公民館横の御葭橋に近付いてきました。
御葭橋に近付きつつある巻藁船です。巻藁船は屋根上の真柱に1年の月数をあらわす12個(閏年は13個)の提灯が縦一列に並び、その周囲には1年の日数365個(閏年は366個)の提灯が半球状に飾り付けられています。船前方には1ケ月をあらわす30個の赤いほうずき提灯が下げられています。船は灯火を揺らし船内で祭囃子を奏楽しながら可動橋の御葭橋を通過しようとしています。
御葭橋が跳ね上がる部分もスマホで撮影してみました。暗い分だけ見辛い部分が多いですが、よろしければご覧ください。
この地点が宵祭りの一番の見所となっているので、両岸とも多くの見物の方々で賑わいます。その前で金魚花火が行われました。
夏祭りには花火がピッタリ合いますね。この瞬間周辺からは大きな歓声とともに拍手が沸き上がりました。
やがて反対側の堤防に設置されていた仕掛け花火にも点火されました。朱に塗られている御葭橋が鮮やかに見えてくる一瞬です。
「祝須成祭蟹江町」という文字の花火でした。昨年の12月にユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあって初めて迎えるお祭とあって祝賀気分が盛り上がっている感じです。やはり夏祭りには花火がピッタリですね。
花火が終り巻藁船は船内で祭囃子を奏でながら御葭橋を通過しようとしていました。
ここも宵祭見所の場面です。半球状の提灯が橋に引っかからないように慎重に進んできました。
橋両岸にはベテランの指導役の方が待機して、あれこれと船頭さんにアドバイスをされていました。
無事に御葭橋を通過したようです。時折提灯が引っかかって川に落下する年もあります。なかなか難しい船の操縦らしいですよ。
橋を通過し暫くしてから祭囃子が後半部分に入ってきました。水郷が陣取る桟敷席に近付いてきましたよ。
いよいよ水郷の前を巻藁船が通過していきます。見物の皆さん巻藁船の写真撮影に没頭されているようでしたが、反対側の水郷が陣取る桟敷席には大村愛知県知事や河村名古屋市長などが祭見物を楽しんでいることもあり、桟敷側にも記念撮影や握手を求める方でごった返していました。これは凄い状態でしたよ。(@_@)。。
巻藁船は、ゆっくりとした速度で祭囃子を奏楽しながら上流の天王橋を目指して桟敷席を通過して行きました。船の先では再び金魚花火が灯火されたので船の周りはその煙に囲まれた状態となっていました。
花火が終わって巻藁船は、再び動き祭囃子を奏楽しながら天王橋目指して進んでいきました。
巻藁船が神社横の天王橋に到着しました。祭役衆は宵祭では下船せずそのまま船内に留まります。やがて大きな歓声が聞こえてきました。実は船先方に飾り付けられていた「ほうずき提灯」の中に餅を入れて周りの方々に撒く行事が行われているようでした。この餅を上手くキャッチすると夏病みしないとの縁起物、また数に限りのあるとても貴重なものなので、それを求める方々の歓声だったようです。今年はほうずき提灯の中に入れない餅も多く撒いたようですね。やはりユネスコ登録の記念も兼ねての大盤振る舞いだったようです。
宵祭最後の見所は天王橋北での花火、決して大きな花火ではありませんがとても綺麗な花火でした。
この様子もスマホでビデオ撮影してあります。役割もあり遠くからの撮影なので見辛いかもしれません。ご容赦くださいね。
こうして午後9時半過ぎに宵祭は予定通り無事終了しました。やはりユネスコ効果もあり例年以上に多くの見物の方々で賑わったようでした。なお、かつての宵祭、戦後暫くまで午前0時近くまで、2010年までは午後10時まで執り行われていましたが、祭警備の安全確保などの問題で地元警察からの強い要求もあって、現在は約30分短縮されたとのことでした。伝統の祭文化を続けていくのもなかなか難しいものですね。
さて、本日の日曜日は朝祭が執り行われました。この日の水郷はフリーなので祭見物を堪能することにして午前9時前に区公民館へと出かけました。到着した時には祭役衆の方々は船に向かうために区公民館前に整列されていました。間もなく船が係留されている飾橋までの行列が始まり朝祭がスタートしました。稚児は神様の使いであり、地に足を触れてはいけないので親役の方が片方の肩に稚児を担いで進んでいきます。前回紹介した津島の場合は肩車状態ですが、須成の場合は片方の肩に担ぐのが仕来りです。何故異なっているのかは良く解りませんが、京都祇園祭長刀鉾の稚児行列は須成と同じ片側の肩に稚児を担ぐ形となっています。
祭役衆の後を追って堤防を南下していきました。やがて前日は見ることができなかった飾橋に到着しました。
昨夜の11時から祭役衆や地元役員が集合し「山起こし」と称する船の模様替えを行いました。巻藁船の提灯などを取り外し、伊弉諾尊・伊弉册尊の能人形と紅白の梅花・桜花、幕類などに飾り付けを新たに行ったものです。
画像のとおり「諾册二尊」の能人形と紅白の「梅花・桜花」が屋台上部に飾り付けられているのが良く解ると思います。
屋台下の部分は写真のような感じです。この船は二艘の船を平行に並べて板を渡し、その上に二階構造の屋形と三層構造の屋台を据え置く構造で作り上げられています。朝祭の船は、昨夜の巻藁船に対して車楽(だんじり)船と称されています。
午前9時半近くに祭囃子の奏楽が始まり、車楽船が出船しました。
出船の様子もビデオ撮影してあります。(*^^)v。。
水郷も車楽船の先回りしながら撮影していくことにしました。天候は曇り空、ちょいと撮影には不向きな感じです。それとともに蒸し暑く感じます。( ;∀;)。。
区公民館の2階桟敷席から御葭橋周辺を撮影してみました。2階の日陰部分に入るととても涼しく感じました。少し歩いた程度なのですが汗をかいたので水分補給を行いながら撮影を続けることにしました。
車楽船が近付いて昨夜同様御葭橋が跳ね上がりました。
こちらもビデオ撮影を行いました。
跳ね上がった部分を車楽船が通過しようとしています。今日も結構見物の方がみえるようです。昨夜の宵祭は余興部分が多いので見物客が多いのですが、本祭りである朝祭は人出が少ないです。これもユネスコ効果なのでしょうかね。
車楽船が御葭橋を通過する際もビデオ撮影を行いました。その分この場面の写真が少ないです。v(^^;)。。
桟敷前を車楽船が通過しようとしています。見物の方が写真撮影を行っていましたよ。
昨夜水郷が陣取った桟敷です。今日も団体の見物の方がみえるようですね。写真奥に杜が見えるところに須成神社(冨吉建速神社・八剱社)があり、その横に架かる天王橋まで車楽船は進んでいきます。
車楽船が天王橋に到着しました。橋周辺には多くの方が待ち構えるように見物されていました。
水郷も天王橋に辿り着いて周囲を撮影しました。とても賑わっていますね。多くは、この後に行われる「投げ花」行事を待っている方々だと思います。
本祭りである朝祭は、祭役衆は船から下船し、神社拝殿まで行列して天王囃子を一曲奏楽します。拝殿前では村三役(敬神会長・区長・保存会長)、鳥居内の参道では区役員の方々が一行を出迎えます。
一稚児が到着しました。冠は桜花で飾り付けられています。
次は二稚児です。冠は梅花で飾られています。棒を持っているのは稚児役だけに付く露払いという役の方です。
ここから一なす・二なす(大鼓)、太鼓、楽(大太鼓)、親役、肩乗せ、山乗り、笛吹などの祭役衆が続いて行きます。
境内の神楽殿では稚児行列に合わせて須成鼓笛保存会の皆さんにより「神子太鼓」の曲打ちが行われていました。
優雅な須成祭囃子とは異なってとても力強い曲ですね。
祭役衆一向は神社拝殿に入り天王囃子を奏楽し始めました。朝祭も間もなく終了する雰囲気となって来ています。なお拝殿の奥にある須成神社の両本殿は室町時代の建築様式を残し国重要文化財に指定されています。そのお隣の蟹江山常楽寺龍照院の本尊の木造十一面観音立像は、平安時代末期に造仏され、やはり国重要文化財の指定を受けるなど須成地域は歴史文化遺産の宝庫です。
天王橋の祭船周辺では「投げ花」行事が始まりました。船に飾り付けてあった桜花と梅花の枝を折って周りの方に投げる行事です。これをキャッチして床の間などに飾ると夏病み予防や良縁に恵まれたり、雷予防などに効果があると云われる縁起物なので、皆さん競ってキャッチしようとしていましたよ。ユネスコ無形文化遺産登録された「須成祭の車楽船行事」最後の見所(見せ場)の行事です。
これだけ多くの見物の方がいると全部行き渡るのは難しいですからね。水郷は怪我でもしたら大変だと思って近付くことすらできませんでした。こういうのは苦手なんですよ。v(^^;)。。
蟹江川西岸に停泊する車楽船です。車楽船は「投げ花」行事により梅花と桜花はほとんど無くなりスッキリとした感じとなっていました。天王囃子を終えた祭役衆は、再び船に戻って蟹江川を下っていきました。区公民館前の「こいど」に着岸した後に一行は下船し区公民館に戻り、朝祭は終了しました。宵祭から朝祭は2日間ですが、実際は正午から始まり翌日の正午前に終るという僅か1日間のお祭なのでとても短く感じました。また来年に期待したものです。
過去の須成祭記事等については水郷楽人の塵芥録HP版の方にまとめて収録しています。関心があればご覧くださいね。