2月も残り僅かとなり、段々と暖かな日が続くようになりましたね。蟹江町内の花シーズン、まずは梅花の開花からスタートしたようです。青空を背景に白梅が咲いて見事でした。
寒い日が続いていますが、ここ一週間ほど寒暖を繰り返しながら、次第に春の到来を感じるようになってきました。そろそろ我が町「蟹江町」の花シーズンの模様がどうなっているのかを散策してみることにしました。写真は川の堤防沿い咲いている花木を発見、近付いてみたら白梅が満開状態となっていましたよ。
花のサイズはとても小さな梅の花、どうやら実が着く品種のような感じです。この地点は日当たり充分、民家が北側にあって、冷たい風が当たらない好条件なのでしょうか。もう満開状態でした。
枝にビッシリと花が咲いています。小さな花ですが、集団美を感じました。
白梅は見ていても、清楚な感じがして水郷のお気に入りの花の一つでもあります。
次に訪れてみたのは源氏才勝地区にある公園です。この公園一帯は、かつて源氏島と云われた小島があったとされ、平成4年に「ふるさと創世資金」を活用して整備されました。
蟹江町らしく「蟹」モニュメントに拘った「風見鶏」ならぬ「風見蟹」なども建物屋上に備え付けられています。
こちらは蟹君のモニュメントの噴水です。爪の先から勢いよく水が吹きだしているのが、実に面白いです。
その奥に紅梅の花が咲きだしていました。日当たり抜群なところに民家沿いに塀が設けられていることが影響し、暖かいのでしょう。
周辺の梅よりも一足早く咲き出しているようです。写真で見るとおり、5分咲き以上は進んでいるような感じです。
清楚な白梅に対して、紅梅は華麗さがありますね。これもまた見事だと思いました。
かつて源氏島と云われたのも、それなりの由来があります。写真左は、公園内にある源氏塚の碑です。源氏塚や源氏島の由来ですが、平安時代末期頃、この周辺は、一面広々とした海で所々に小島が点在していました。平治元年(1159)、都で起こった平治の乱の際、平氏の棟梁「平清盛」に敗れた源氏の棟梁「源義朝」は東国で再起を図るべく美濃国青墓(現在の岐阜県大垣市)から尾張国内海野間(愛知県知多郡美浜町)へ小舟で下る途中、この小島に暫し舟を止めて休息したと言い伝えられているところから「源氏島」、小島の一番高いところに義朝が休息したことから「源氏塚」と名付けられたと云われていました。平成に入り公園化されて、源平を顕す紅白の梅の木が公園一帯に植樹されたとのことです。
こちらは桃色の梅の花、紅梅よりも少し遅れて咲き出していました。
白梅の清楚、紅梅の華麗、桃色には両方の色が冴えた柔らかさを感じさせられました。
こちらは八重咲の紅梅でしょうか。こちらもまだまだ蕾状態ですが、一輪咲きだしているものがありました。
源氏と言えば、やはり旗色が「白」ですね。風通しの良い部分に植樹されているのが影響しているのでしょうか。こちらはまだ蕾状態でした。この公園では、源平の争乱のように、まずは平氏旗色の「赤」が咲いてから源氏の「白」が満開になるようです。意図的に配置されているのかは良く解りませんが、面白いです。
まだ源平咲きの梅もあります。こちらも蕾状態で見頃が来月上旬からのようです。また梅が塩梅よく咲いている時期に公園へと訪れてみたいです。
源氏地区から少し西側に移動すると「尾張温泉郷通」に入ります。この通に水郷、お気に入りの白梅の庭木がありますので、訪れてみることにしてみました。
写真のように満開状態となっていましたよ。花姿が良いですね。とても手入れがされている感じです。
冒頭で紹介した八重咲の白梅です。青空を背景に撮影を行いました。ちょうど庭にご主人様がみえましたので、了解をいただき撮影したものです。
ご主人様の話によれば、約30年前に知多の緑化センターで購入した白梅だそうです。毎年管理を丁寧に行っているとのことで、その手入れはなかなか難しいとのことでした。
やはり大事に管理されているので、背丈の低い梅ですが、枝に着く花数が凄いです。感心しながら拝見させていただきました。
こちらは我が家の梅の花、枝垂れの紅梅です。先程の白梅とは随分違った雰囲気ですが。v(^^ゞ。。
先日TV番組で、梅の花でも一足早く咲く「枝垂梅」のことを「花の兄」と云うと紹介されていました。つまり、この花が咲くことにより、1年の花シーズンが始まるとの意味らしいです。因みに一番下の「花の弟」は菊だとのことです。なかなか面白いですね。梅から始まる花兄弟物語、ジックリと楽しんで行きたいものです。
水郷楽人の塵芥録HP版(クリックするとHPにジャンプします)
こちらは水郷楽人の塵芥録HP版です。蟹江町内の花シーズンが到来しました。梅の開花から始まる花シーズン、「水郷蟹江の花名所編」では、蟹江町内の花名所を紹介しています。よろしければご覧くださいね。。