GWも本日が最終日となりました。尾張津島まち歩き後編、天王信仰の総本社津島神社東鳥居前に到着しました。
前編でも紹介しましたが、津島のまち歩きは今年で4年目、例年だとこのまま神社境内へと進むのですが、今回は初めて神社に隣接する元神宮寺宝寿院に立ち寄ることにしました。本堂へと続く参道にはツツジが植えられていました。
まだ満開状態ではなかったのですが、綺麗な花があちこちに咲いていました。
宝寿院の庭園です。中央に池のある池泉式庭園風(?)のような感じがします。
落ち着いた雰囲気です。遠くに津島神社の鳥居がみえました。賑やかな神社境内とは一変した静寂さを感じました。
元神宮寺というのは、かつては神社と一帯の存在、明治の神仏分離によって神社と切り離されたという歴史を持つということです。
遠くに見えるのは宝寿院本堂です。日本は長らく神仏が融合し尊崇されてきました。それが明治に入り、神は国家が守り、外来の仏教とは切り離す神仏分離令が発布されます。それに従い神宮寺は取り壊されるか、一寺院として存続するかの選択を迫られました。当院も弘仁9年(818年)に、この地を訪れた弘法大師が疫病に苦しむ人々のために津島牛頭天王社(津島神社)の隣に堂を設けて薬師如来を奉ったことに始まるとされ、江戸時代に天王社境内に神宮寺垣内に本地堂が置かれ、玉垣の西に実相院・明星院・宝寿院が並び建ち、神社から離れた場所に観音坊があったとされています。
明治の神仏分離に伴い、神社境内にあった本地堂は破却されて、紆余曲折のうえ神社が所蔵していた仏像や仏画などは、宝寿院に移されたとされています。神仏分離の経過などを記したものとして「神仏分離顛末記宥三日記」が残されており、現在は津島市指定文化財となっています。日本全国に吹き荒れた神仏分離、そして廃仏毀釈の嵐に当地も大きく巻き込まれた歴史をうかがい知ることができます。今、寺境内を散策してもそんなことは全く感じさせられませんがね。。
宝寿院から津島神社楼門前に進んできました。桃山時代の建築様式を誇る建物で、豊臣秀吉の寄進による物として国重要文化財に指定されています。
拝殿へと進みます。津島神社は約1500年の歴史を誇る神社で、祭神は「建速須佐之男命(たけはやすさのおうのみこと)」です。明治時代の神仏分離以前は牛頭天王を祀っていたことから津島天王社とも相称されていました。拝殿の奥に本殿があります。
津島神社は、かつて「西の祇園(八坂)、東の津島」と云われる牛頭天王信仰の総本社として古くから栄え、周辺に門前町が形成され、各地からの参拝客で大いに賑わいました。織田信長、豊臣秀吉や歴代尾張徳川家藩主からも篤く信仰したそうですよ。
賑わっていますね。江戸時代には「津島参らにゃ片参り」と云われ、お伊勢参りの折には津島神社も参拝すべしと薦められたとのこと、もっともこれは、多賀、熊野、多度、朝熊山などにも当てはめられている言葉なので、特に津島だけを指した訳ではありません。但し、そんな大社と同じくらい尊崇を集めた存在だったことの証しであることには変わりはありませんね。津島神社本殿は、徳川家康四男で清洲城主であった松平忠吉の寄進とされ、桃山時代の建築様式で国重要文化財に指定されています。水郷も参拝を行い、家内安全、病気退散をお願いいたしました。
神社に西側には宝物殿があり、夏の大祭「尾張津島天王祭」に登場する巻藁船と車楽船の縮尺模型が展示されていました。津島天王祭は「日本三大川祭り」の一つとしても有名ですね。
神社南門です。こちらの門は、秀吉の息子である豊臣秀頼が寄進したものとされ愛知県の有形文化財に指定されているとのことです。いろんな建造物が文化財指定を受けているのですね。津島神社の由緒というものを改めて認識させていただいた気持ちです。
南門前の駐車場は、多くの露店が並んでいました。とても個性的なお店も多かったです。
南鳥居から大通りに出て天王川公園へと戻ることにしました。道路は藤まつり見物を目指す車で渋滞していました。
一昨年、津島神社献茶祭の帰りに立ち寄った国重要文化財堀田家住宅前を通り過ぎ、天王川公園へと戻ってきました。
公園内には大きな池があり、船遊びに興じている方も見えるようでした。この池は、天王祭りの際には巻藁船や車楽船が登場することで有名です。
池の中には中ノ島があり、そこにも藤棚が設置されています。
藤まつり会場へと戻ってきました。お昼近くになり、一段と会場内は賑わっていましたよ。
地元の特産品を販売しているブース、まち歩き前にはあったモロコ寿司は、既に売り切れていましたよ。帰りに買って行こうと考えていたのでちょいと残念な結果となってしまいました。
それでも地ビールや津島麩などは、まだ販売されていました。記念として何か興味の引くものを買っていくことにしましたよ。
我が家に帰る前に、もう一度藤棚を見物していくことにしました。折角出かけてきたのですから記憶にシッカリと焼き付きたいものです。先程とは見物されている数が違うので、なかなか前に進めませんでした。
途中で水路沿いの通路を進むのを断念して、藤棚の端を眺めながら進むことにします。こう見た方が、九尺藤の花房が一段と長く感じました。それにしても見物されている方が多いですね。皆さん座って、お弁当などを摂っているようでした。
東洋一の規模を誇るだけのことはありますね。とても見応えのある藤棚でしたよ。毎年訪れていますが、何度訪れても飽きない地域の宝ですね。
藤棚の奥には松林があります。かつてはこの一帯が川だったという堤防の名残の松林です。新緑の季節を堪能させていただきました。
我が家に引き返す途中に遅くなった昼食を摂ることにしました。市内は渋滞状態なので、郊外で摂ることにして、久々に神守町のHIYAさんに立ち寄りました。約10年ぶりくらいになります。
このお店は、地元で評判の「あんかけスパ」の名店です。このランチで680円、更に飲み物を付けると800円、とてもお値打ち、お味もピリ辛感もあって美味しいです。
午後2時過ぎに我が家へと帰ってきました。本日のお土産です。まだカレーは食べていませんが、楽しみなところです。1年ぶりの津島まち歩き、やっぱり門前町として栄えた歴史は奥深いですね。また、真夏の天王祭や秋まつりの際に出かけてみたくなりました。
水郷楽人の塵芥録HP版(クリックするとHPにジャンプします)
こちらは水郷楽人の塵芥録HP版です。「水郷楽人の歴史散歩編」では、まち歩きや花・祭見物などの記録を紹介しています。よろしければご覧くださいね。。