久々に島畑周辺を歩いて観察することにしました。今年で観察10年目となります。一週間前に田圃に水が入り田植えが行われて写真のように、まさに島畑状態となっていました。
前回の日曜日、菜園作業を終えて我が家に帰るには少し時間の余裕があったので、菜園に隣接する島畑周辺を歩くことにしました。
写真左は島畑のほぼ中心部にある農道から東側、JR名古屋駅方面を撮影です。ここから名古屋駅周辺の都心までは僅か15分ほどで到着、こんな近くに田園風景が拡がるのはある意味奇跡的のような感じです。写真右は、同じ地点から西側を撮影、遥か遠くには多度や養老を代表する養老山地が聳えています。
まずはこの地点に点在する個性的な島畑を紹介していきましょう。写真は田圃の中にポツリと浮かぶように存在する島畑です。畑に入るためには板の桟橋のようなところを歩かないと辿り着けないようです。
こちらは農道から細い畦道を歩くように作られている島畑です。専門家の方に云わせると、このような畦道で繋がっていないと「島畑」では無いと拘るようですが、まさにピッタリ状態の島畑でした。畑手前は整地されていますが、奥は春ジャガを栽培しているようでした。
こちらは畦道は短いですが、島畑の奥行きはあるようです。手前には藁が束ねられていますが、先程と同じように春ジャガが栽培されていました。
こちらも典型的な島畑ですね。この畑は夏野菜のトマト、トウモロコシ、ナスなどが栽培されていました。それぞれ持ち主の好みが解って面白いです。
こちらは畦が短く奥行きのある島畑でした。手前はジャガイモ、その奥はキュウリ、赤シソを栽培、一番奥はちょいと解りませんが夏野菜のようです。先程までの島畑の形状と同じようですが、この島畑は田圃の境目部分に雑草を生やして畑の土が田圃の水に削られないような工夫がされていましたよ。
講釈はこれくらいにして農道を西方面へと進むことにします。島畑にはいろんな好み野菜が栽培されています。ここ数年、島畑周辺では、野菜泥棒が跋扈しているので、ゆっくり観察すると怪しまれる可能性もあるので写真を撮ると直ぐに次の地点へと進むことにしています。
ここは蟹江町大字須成字北刎畑という地名、島畑のことを蟹江では「刎畑」とも云います。島畑が数多く点在していることから地名に名付けられているようです。その地点の一番西側に辿り着きました。ここから北東方向に向かって撮影を行いました。
ここからは北側へ廻り込むように歩くことにします。すべての島畑は先程の農道から細い畦道で繋がっていました。その先端がどうなっているのかを観察することにします。
写真ととおり北側の農道とは繋がらずに途中で先端が途切れているようです。先端には大きな木が植えられていました。よく見ると蟹江町名物の白イチジクでしたよ。
農道を東へと進んで南西方向に向かって撮影を行いました。こう見ると、まさに田圃に点在する島のようですね。
その地点から少し南部分に視点をずらすと田圃の向こうには住宅が建ち並んでいます。都心と田園の境目と言った感じでしょうか。
こちらは耕作が放棄された島畑です。ここ数年、このような島畑が多く目立つようになってきました。多分後継者の方が畑作を断念されたのでしょう。
東部分の田圃は少し水が少ないですね。これは田植えを行った後、稲がシッカリと土に根付くように一旦水を抜くそうです。東部分から西方向に向かって田植えが行われたということが良く解りますね。
再び島畑の西部分に戻り、南東方向に向かって写真撮影を行いました。この地点から住宅地が密集、近くにJR蟹江駅もあるのでドンドンと住宅が造成されています。
住宅密集地近くから北東方向に向かって撮影を行いました。10年前に初めて島畑を訪れた際には、白い建物の流通センターはまだ無くて見通しも随分と良かったような感じでした。
住宅地の間にも少しながら島畑が残っています。この島畑、南側に広い道路に接しているので、いずれかは消滅するかも知れません。
尾張島畑物語として、いつも記事の最後を〆てくれたのは、この島畑でした。小さいのですが、とても島畑らしい形状で気に入っていましたよ。
久々にこの地点に訪れてみましたが、このように島畑は消滅していましたよ。今はJAや専門業者などに耕作を委託する場合が多く、大型機械で耕作する場合島畑の存在が邪魔になるようですね。
こちらは2年ほど前まで地区最大の島畑で、よく持ち主の方が野菜などの手入れを丁寧に管理されていました。記念撮影にも快く応じてくれるなど気さくな方でした。
今は先程と同じように一面田圃に整地されて島畑は消滅しています。ここ数年、島畑持ち主世代の交代や機械化などの事情から2~3枚ほどの島畑が整地されて消滅してしまいましたよ。何だか寂しい限りですが、仕方がないようです。JR関西線蟹江駅の北側周辺が都市開発で整備され、隣接するこの地域もドンドンと都市化が進行、併せて農家の稲作栽培方法が大型機械化されるなど島畑を取り巻く環境も変化を余儀なくなれているようです。今後も時折、島畑を訪れて観察を続けたいと思います。
島畑とは、尾張平野(濃尾平野の尾張側一帯)に広がる田圃に囲まれ点在する畑のことを言います。別名「刎畑」とも言われています。もともとは木曽川デルタ地帯に属する川の氾濫時の際に運ばれた大量の土砂を一カ所に寄せ集めたり、用水路の土浚えの際に生じた余剰な土砂を盛り上げて造成されたものです。そして、宮重・方領の両大根、越津ネギ、カリモリ、十六ササゲを始めとする愛知 県西部の伝統野菜「尾張野菜」を育んできた大地でもあります。島畑は中世・近世の時代から今日まで、永らく尾張平野一帯の田園風景としてどこでも見られるごくごく平凡な景観でしたが、耕地整理、都市整備が進むにつれ、、都市部周辺から姿を消して行きました。今残るのは一宮市丹陽・三ツ井地区、あま市花長(旧海部郡美和町)、沖ノ島・遠島(旧海部郡七宝町)、海部郡蟹江町須成、名古屋市中川区などです。
水郷楽人の塵芥録HP版(クリックするとHPにジャンプします)
こちらは水郷楽人の塵芥録HP版です。今年で島畑観察はちょうど10年となりました。その記録をHP版で紹介してあります。よろしければご覧くださいね。島畑は、現在全国的にも愛知 県一宮市~海部郡周辺と京都 府城陽市に残された景観だと言われています。近頃山間部に切り開かれた「棚田」が歴史的農業 景観、国土保全のため保護が必要と、各地で保存のための取り組みが行われていますが、「島畑」は平野部に多く点在し、利用価値も高いため、耕地・土地整備などによって今後消滅する可能性が高い歴史的農業景観でもあります。