街中で山車の車切り実演が行われていました。やはり都市文化の歴史的資料、周辺の景観によくマッチしている感じでした。既に当日から2週間が経過しようとしていますが、尾張津島秋まつり見物の後編です。前編はあっさりと打ち切ってしまったので後編は、ちょいと長編になってしまいますが、よろしくお付き合いくださいね。
10月に入り、blog用の記事ネタは結構あるのですが、なかなか更新が捗りません。別に仕事が忙しくて更新できないのではなく、菜園で収穫した落花生や丹波の黒豆など「味覚の秋」を「秋の夜長」の相手として楽しんいるので、ついつい更新が疎かになってしまっている水郷です。飲んだ後は、一風呂浴びて直ぐにベッドへと直行、爆睡の毎日ですからね。v(^^;。。先日は、「蟹江町民まつり」へ見物に出かけましたが、これも後回しになりそうです。さて、津島の秋まつり、午後1時から名鉄津島駅前の広場で、石取祭車や山車が勢揃いし、実演が行われました。その後、実演を済ませた各車は、津島神社を目指して、津島駅から神社へと続く参道「天王通」を進んでいきました。
前編でも紹介した通り、水郷も津島神社へと向かうことにしましたよ。最後尾の山車を見物しながら写真撮影を行っていくことにしました。
青空を背景に山車屋台上のカラクリ人形を観察していくことにしました。名古屋を始め、この地方の山車にはカラクリ人形を飾り付けるところが多いです。やはり津島秋祭りにも12輌山車が登場しますが、それぞれ故事に則った個性的なカラクリ人形が飾り付けられています。写真の山車は「今市場の山車」の一つ、小中切車、カラクリは「住吉明神」です。水引幕に描かれている鳳凰の刺繍が見事です。
津島神社を目指して天王通を進んでいきました。通りには、山車見物の方で賑わっていました。
交差点中央部分で車切りが行われていました。道路上に白い線でサークルが引かれていましたが、この地点で車切りを行った痕跡だそうです。これは後に詳しく述べたいと思います。
祭囃子に合わせて山車を曳く楫方衆が力強く山車曳棒を持ち上げて回転させていきます。この時の掛け声が祭り気分を盛り上げていくような感じです。
山車のカラクリ君も当然回転していきますよね。斜め拝見するのとはまた違った雰囲気になっていくような感じです。写真は「七切りの山車」の一つ、布屋町車のカラクリは「蛭子(えびす)・大黒の舞」です。水引幕は、鶯茶地に唐獅子の刺繍が描かれていました。
こちらは水郷正面にカラクリ君が接したところ、ちょいと引き締まった感じになったような気がしました。
津島神社参道の天王通を西に進むと大勢の方でごった返していました。ここで少し秋祭の歴史文化について述べたいと思います。津島市の紹介によれば、津島市の繁栄を支えてきたのは、津島神社周辺の町方衆、牛頭天王信仰の中心地として中世から栄え、夏の大祭「天王車楽船行事」に代表される町文化を築いてきたようですが、江戸中期以降は、その周辺にある地方衆の財力も豊かになってきたようです。
こちらは「七切りの山車」の高屋敷の舌出し人形のカラクリ、とてもユニークな表情ですね。従来の町方衆を凌ぐように豊かになった地方衆一帯で、当時名古屋で流行ったカラクリ山車が作られるようになりました。それぞれ地域ごとの鎮守(七切り:市神社、今市場:大土社、向島:居森社)で行われていた祭礼を、大正15年津島神社が国幣小社に昇格したのを契機に津島神社列格記念祭として統合して行われたことになり、現在に受け継がれたとのことです。山車は約300年、三重の桑名市から伝わった石取祭車は約100年の歴史を誇るとのことでした。
カラクリも素敵ですが、水引幕や大幕も歴史を感じて素敵ですね。水引は紺青地に龍の刺繍が施されていました。山車の下では祭囃子が奏でられています。写真のように若い方々によって囃子が奏でられているようです。
山車巡行途中にも実演を控えてカラクリ君の手入れ管理が必要なようですね。これは調整中だったのでしょうか。祭役員の方が、いろいろ手入れされているような感じでした。こちらも「七切りの山車」北町車、唐子遊びのカラクリ君を調整されていました。水引幕は水色地に雲鶴の刺繍が施されていました。前回はカラクリ実演と車切りだけを楽しんだのですが、今回は山車の装飾にも注目していきたいと思います。
津島でも有名な和菓子屋さんの前で車切りを行っているのは、「七切りの山車」池麩町車で大幕の猩々緋に施されている刺繍「波上の鶴」が目に惹きました。
楫方(担ぎ手)さんが威勢良く掛け声をかけながら回転する光景は、力強さとともに、とても優雅に感じました。
青空を背景に、カラクリ「唐子遊び」を撮影です。街中には、必ず写ってしまう電線が何とも残念ですが、これはこれで、また面白く感じました。
更に津島神社近くまで進むことにしました。津島のまち歩き編で何度も紹介させていただいている大銀杏の前で車切りを行ったいる山車がありました。こちらも「七切りの山車」の一つ麩屋町車でした。水引幕の黒地に注連縄の刺繍が締まった感じが伝わってきました。カラクリは前編の冒頭で紹介させていただいた「湯取神子」です。
遂に神社大鳥居前に到着しました。見物客で随分と賑わっていますね。なかなか前に進めませんでした。
皆さん、一足早く到着していた石取祭車の周りを取り囲むように太鼓と鉦の実演を見物されていましたよ。
兎に角、石取祭車からの太鼓と鉦の響きは凄いです。体の芯まで響いて伝わってきます。
とてもテンポが速く、威勢の良い太鼓と鉦の響きです。賑やかな雰囲気が出て、祭り気分も盛り上げってきていました。
やがて石取三車が次々と神社境内へと入ってきました。
楼門前で太鼓と鉦を奉楽するようで、まずは北部祭車が水郷の前を通り過ぎていきました。
次は中部祭車が入場してきました。
石取車は大正4年頃から始まったと伝えられ、今年でちょうど100周年とのことでした。
最後に南部祭車が登場です。やっぱり石取の太鼓と鉦の響きは凄いですね。
豊臣秀吉が寄進されたとされる津島神社楼門前で石取三車による太鼓と鉦の奉楽が始まりました。あっと言う間に、水郷の前は見物の方が集まり、実演の模様が良く解らなくなってきましたよ。
祭車周囲には紙吹雪も舞って一層雰囲気が盛り上がって来ています。祭車に取り付けられている各車の天幕の刺繍も見事です。左から南部車「須佐之男命と八頭大蛇退治」、中部車「竹に虎」、北部車「神武天皇と八咫烏」が描かれています。
石取祭車の太鼓奉納の間、神社鳥居前参道には、各山車が勢揃いし、待機していました。
先頭は麩屋町、次に池麩町が順番に待機状態です。
石取三車の実演が終了すると、山車の祭囃子及びカラクリの披露が山車一台ごとに行われます。まずは先頭の麩屋町車が境内に入ってきました。
湯取神子の実演が始まりました。山車中央にいた湯取神子が段々と迫出して大釜の前に近付いてきました。
やがて大釜から湯煙のように紙吹雪が吹きだしてきます。
湯取神子も大釜左右に回転しながら動いていましたよ。見事な操作です。山車の装飾も豪華な感じですね。
麩屋車の実演が終了すると、二番手の池麩町車が境内に入ってきました。
この日の津島神社周辺は、快晴状態の青空が拡がって、写真を撮影してもよく背景と山車人形がマッチしていました。
この後の山車囃子奉楽・カラクリ披露をジックリと見物したいところですが、時間の都合上、津島駅へと戻ることにします。何となく後ろ髪を引かれるような感じですが、仕方がありません。
合計12輌の山車が次々に神社参道に集まってきています。参道もごった返し状態で、引き返すのも大変なようです。
まだまだ辻では、車切りの実演も行われていましたよ。
昔ながらの町並みで拝見する車切りの実演、先程の津島駅前の実演とは、また異なった雰囲気を感じて素敵です。
道路の所どころにミステリーサークルのような白い円が描かれていましたが、その地点で車切りを行っているようでした。・・・と思っていたら地元の方からご指摘のコメントをいただきまして「これは、車切りを行って生じたタイヤ痕で、白くなっているのは表面が削れた跡」とご教示されました。もう少しで勘違いによる思い込みで、そのままスルーするところでしたよ。つまり白くなったサークルは、車切りを行った痕跡なのだそうです。車切りを地点は、あらかじめ役員の方が決めて指示されるとのことです。やはり地元に住む皆様からのコメントは有難いですね。
かつての参道周辺とは異なり、マンションなど立ち並ぶ部分もあって新しい建物、古い建物が混在する町並み、これからどうなっていくのでしょうか。
山車の行列など、町衆が総動員で取り組んでいる古くからのお祭、何時までも継承されると良いですね。
やっぱり古くからの町並みが残っている部分で山車を見物するのが、よくマッチしている感じでした。
昨年は雨のため、山車の勢揃いや車切り実演を見物することができませんでしたが、今年は天候も良く、祭見物を楽しむことが出来ました。この後、津島神社境内での奉楽が全て終了すると天王通りに山車が勢揃いし、一斉に車切りが行われたり、夜は、山車に提灯が飾り付けらて、街中を巡行する行事が予定されているとのことでした。
時間の都合もあり、午後4時過ぎに名鉄津島駅前に到着し、蟹江へと帰ることにしました。駅前は、約3時間前とは異なり、ひっそりとした状態となっていました。山車の車切りで生じたサークル痕が、ポツンと残され、妙に寂しさを感じましたよ。新聞にも津島秋まつりが大きく紹介されるなど、この日は随分と市内が賑わったとのことです。やっぱり伝統文化見物は格別に良いものですね。