後編は近江八幡街中のまち歩き、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている新町通界隈を散策することにしました。写真はその中核部分、町屋見物の方が多く訪れていましたよ。水郷の町「近江八幡まち歩き」後編です。
- 歴史散歩
水郷は船着場を後にして近江八幡の町並み方面へとまち歩きを楽しむことにしました。安土桃山から昭和初期まで栄えた街並みが残されているとのことです。暫く歩くと大きな建物群が見えてきました。
標準レンズを使用しても建物が大きいのではみ出してしまいます。道に面するよりも奥行が長い商家独特の建物ですね。
営業中のお店は「麩の吉井」さん、丁子麩の老舗のようでした。丁子麩は近江八幡名物の一つで舌触りの良さとモチモチ感が特長、鍋物やからし酢味噌和えでいただくと特に美味しいとのことでした。
本通りの「大杉通」との交差点まで歩いたところで船着場方面を撮影してみました。写真右は大杉通を越えて新町通に入って再度船着場方面を撮影したものです。通り沿いには白壁の土蔵や板塀、そして町屋が続いている状態です。
この一帯は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されているとのことです。堂々たる建物ですね。個々の建物は国重要文化財の指定を受けているものもあるようですね。とても落ち着いた通りです。
通全体を撮影してみました。兎に角家の中に松が植樹されている家が多いのも特徴です。多分立派な庭園があるのでしょう。近江商人の財力が良く理解できる歴史的な建造物です。
本当に素晴らしい町並みが残されたものですね。感動してしまいましたよ。観光と思われる多くの方々が町並みを見物しながら散策を楽しんでみえました。
今でも個人住宅として利用されているところなので多くが非公開ですが、写真の西川利右衛門宅は市に寄付されたもので公開されていたので中に入ることにしました。邸内でも写真撮影は個人が楽しむ分にはOKなのですが、blogやインスタグラムなどへの投稿は控えていただきたいとのことなので、ここでは紹介はしませんが、昔ながらの商家の土間、炊事場や勘定場、座敷などが残され、それに関わる着物、文書や調度品なども展示されており、なかなか面白いと思いました。こどもの日ということで五月人形も展示されていましたよ。とても格式が高いものでした。
こちらは庭園の様子、これはOKだとのことなので公開させていただきました。主屋の座敷から拝見したものです。当家の解説用パンプレットによれば西川利右衛門家は11代300年続いた近江八幡を代表する近江商人で屋号を大文字家と称して、蚊帳や畳表などを主に扱って財を成したとされているとのことでした。
西川家見学を終えて新町通に出てきました。反対側にも違う西川邸がありました。前編でも違う西川家がありましたが、一帯には西川姓の方が多いようですね。邸内の見学を申し込んでいる方が見えましたが、どうやら翌日に行事があるようで、その準備のため見学を断っていたようです。
再び新町通を北側から南方面へと散策していくことにしました。写真のように延々と町並みが続いていました。ここで前編につづいて近江商人について紹介してみます。秀次が築いた近江八幡一帯は、江戸時代には天領(江戸幕府直轄領)となり、城下の商人たちは幕府の通行手形を片手に今度は全国を「天秤棒」一つで商いして回り、江戸日本橋を始め当時の主要都市に出店を構えて活躍したようです。
「近江商人」とは近江国に本店を置き、全国で商いの活動を行った商人たちのことですが、近江商人発祥の一つとして別名「八幡商人」とも言われたようです。その名残がこの町並みとして保存されているようです。午後2時過ぎとなり随分と暑さを感じるようになってきましたよ。汗もかいてまち歩きにはちょいと辛いところ、陽射しも強く夏の雰囲気です。( 一一)v。。写真に写った方はボランティアガイドの方でしょうか。今日は説明も大忙しで大変なことでしょうね。
歩いて暫くすると近江八幡名物「赤こんにゃく」を取り扱っているお店がありましたよ。織田信長にゆかりのある名産物らしいです。食べ方があまり解らないのでパスしてしまいました。
そこから歩いて交差点部分に一段と大きな建物が集まっていました。かつての八幡の中心部分、京街道(門前通)と新町通が交差する一等地で、解説書によれば写真の建物は江戸時代初期の豪商「伴庄右衛門」(扇家)が本家として建てた商家が始まりで、この建物は第七代目能尹(すけよし)が江戸時代後期に十数年<文政10年(1827)から天保11年(1840)>をかけて建築したと云われています。現在は市教育会館として活用されているとのことです。とても重厚な建物ですね。江戸時代は家作制限が厳しく二階建ては基本的には禁じられてのですが。堂々たる三階建ての建物を建造できたのは当時の八幡商人の力を示していると考えられているとのことです。
その反対側の建物は近江八幡市の郷土資料館、昭和40年に近江八幡署の敷地・建物の譲渡を受けて開設されたとのことです。異国情緒のある洋風建築で昭和28年にヴォーリズ設計事務所に改築され、以後大きな改変もなく今日に至っているとのことでした。
教育会館東側にも大きな木造建築が残されていました。創業50年「お食事処みつわや」として近江牛の焼肉定食や肉うどん、他人丼などを扱っているようです。他人丼、どんな料理なんでしょうね。(◎_◎;)。。
ここからは駐車場へと戻ることにしました。門前通を西方面へと歩けば近江八幡を深く愛したウィリアム・メレル・ヴォーリズが手掛けた池田町洋風住宅街があるのですが、もう暑くて限界状態、今回は見学を断念することにしましたよ。次回のお楽しみとすることにしました。こう散策していると和の文化が色濃く残る近江八幡ですが、異国情緒のある洋風建築が多く残されているとのことです。
新町通から2本ほど離れた為心通を歩いていきました。ここは中心部から離れているのかひっそりとした感じでしたよ。あとで思ったのですが、先程触れたヴォーリズが深くかかわった近江兄弟社や同メンターム資料館の建物の撮影を忘れてしまいました。これだけは撮影しておいた方が良かったと後悔しています。やはり事前に近江八幡のことを少し勉強しておくべきでした。思い付きではなかなか難しいです。( ;∀;)v。。
駐車場に引きかえし我が家へと戻ることにしました。途中立ち寄ったのがJR近江八幡駅近くにある「たねや近江八幡店」です。前編で少し触れましたが、日牟禮八幡すぐ近くにある「日牟禮ヴィレッジ(たねや・クラブハリエ)」店、駐車場への帰りおかみ様を町中に残す間、どんなふうなのだろうと様子を見ながら寄ってみたのですが大渋滞状態なので諦めて駐車場へと立ち戻り、町中から駅へと通ずる「ブーメラン通」を直行して職場などへのお土産調達のために立ち寄ったものです。こちらも観光の方が多く集まって有名な和菓子やロールケーキを購入されていましたよ。それでも購入することができました。(*^^)v。。
お土産調達後、往路と同じ国道421号(旧八風街道)を利用して蟹江へと戻ることにしました。近江八幡出発が午後4時頃、予定では午後6時頃に蟹江に到着するはずですが、GW中ですからね。421号線沿いに近江鉄道の路線があります。旧西武鉄道色に塗装されている電車が駅に停車していたので、おかみ様にお願いしてスマホ撮影していただきました。プチ鉄の水郷ですからついつい興味をもってしまいましたよ。v(^^;。。
田圃一面の蓮華草が咲いていましたよ。これだけ広大な蓮華草の田圃は見たことがなかったのでこれもおかみ様にお願いいたしました。
周辺の田圃ではGWを利用して田植えが行われていました。この田圃も間もなく耕されて田植えが行われるのでしょうか。
約1時間近くで永源寺を通過しました。休憩がてら愛知川上流にある永源寺ダムの駐車場に停車しました。
これからダム湖の先に聳える鈴鹿の山々を通り貫けていきます。道路もここからは車線が狭い部分がありカーブが続いて行きます。10分ほど休憩して石榑トンネルを目指しました。
石榑トンネルを通り三重県に入りました。往路と同様工事による片側交互通行の部分に差し掛かると写真のように渋滞が発生していましたよ。暫く停車している間、写真の先に拡がる伊勢平野を眺めることにしました。
工事による渋滞はさほどひどいものでは無く10分ほどで通過しいなべ市を通り抜け桑名市に入り、東名阪道桑名東ICから高速に入り蟹江を目指しました。蟹江IC直前におかみ様がスマホで撮影したものです。道路先にJR名古屋駅周辺の高層ビル群が見えてきました。高速も渋滞はまったくなくあっという間に蟹江ICに到着です。
拍子抜け状態で午後6時過ぎに我が家に到着しましたよ。写真は本日訪れた近江八幡のお土産品です。たねやの最中かクラブハリエのバームクーヘンか迷いましたが、ミニサイズのバームクーヘンが売り切れなのか見当たらなかったので、ここはスタンダードに最中の方を購入することにしましたよ。GW明けに職場で配布しましたが、とても美味しくいただきました。近江八幡、何度でもまち歩きをしても飽きないところですね。また訪れてみたくなりましたよ。(*^^)v。。