5艘の車楽(だんじり)船の前を神官(奥)と祭役(手前)を乗せた2艘の小舟「赤船」が通過しようとしています。日曜日は津島市天王川公園周辺で執り行われました「尾張津島天王朝祭」の見物に出かけてきました。
- 歴史散歩
菜園も夏野菜の収穫と水遣りのみ行う日々が続いています。土曜日に地元CATV特別番組「尾張津島天王宵祭」の模様を視聴していました。翌日曜日には朝祭が執り行われます。昨日の宵祭は、昨年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあって大いに盛り上がったようです。本日の水郷は特に用事が無いので津島市まで出かけることを急遽決断することにしました。午前8時半に蟹江町を出発し9時前に祭が執り行われる天王川公園に到着しました。写真は朝祭の先頭の役割を務める市江車です。昨日の宵祭には参加せず、朝祭のみ登場する特別な車楽船です。
こちらは冒頭で紹介しました5艘の車楽船、別名「津島五車」です。手前から下車、堤下車、米車、今車、筏場車が並んでいます。
昨夜の宵祭で津島五車は、提灯で飾り付けられた優雅な巻藁船で天王川公園丸池を巡行しました。宵祭り終了後、真夜中に写真のような豪華な車楽船に飾り付けられました。
午前9時過ぎに神官と祭役を乗せた赤船がそれぞれに船に挨拶に出向き、それが終了して船が出船します。やがて船内で祭囃子が奏楽されました。そして出船です。
今回も短編ですがスマホを使って市江車が出船する様子を撮影することにしました。よろしければご覧くださいね。
船が停泊していた河戸から船は公園内の丸池へと進んでいきます。市江車が水郷の前を通り過ぎていきました。
市江車に続いて津島五車も出船しました。
津島五車の先頭は下車です。前日の宵祭では先頭の役割(当番車)を務めていました。車楽船は見事な幕と水引で飾り付けられ、その上には能人形が安置されています。
下車の能人形は「高砂」、後でも紹介しますが津島五車の先頭は必ず「高砂」を安置するとのことでした。いろんな仕来りがあるのですね。約500年の歴史を有するだけあると思いました。
下車の通過の模様を拝見しているうちに市江車は丸池の遥か向こうまで辿り着いています。大急ぎで追いかけることにしました。
何とか追いついたようです。市江車の前には未婚の成人男性が務める「鉾持ち」が揃っていました。
ここでデジカメのレンズを交換して撮影することにしました。一番鉾の若衆が対岸に向かい布鉾を持ち上げているような素振りをしている気がしました。どうやら地元愛西市市江地域の方々が市江車応援のため陣取ってみえるのでしょうか。
さて、鉾持ちの一番鉾を務める若衆が背中に布鉾を背負っている姿勢をしています。ここから丸池に飛び込んで御旅所まで泳いでいくことになります。
飛び込む瞬間を撮影してみたのですが、残念ながらピンボケしていました。( ;∀;)。。
気を取り直して2番鉾が飛び込むところを撮影、何とか上手く撮影できたようです。(;^ω^)。。
先程の地点からだと逆光気味になるので移動することにしました。丸池の一番北側に移動しました。階段を登る途中に丸池方向を撮影してみました。
更に歩いて池東側に移動しました。ちょうど市江車が水郷の前を通過して行きました。
2番が下車、以下堤下車、米車、今車、筏場車の津島五車が続いていました。
こちらは下車、先日の宵祭の際は先頭を巡行する当番車役を務めていた車楽船です。
堤下車です。先日は二番役を務めていました。
ここで船上に安置されている能人形を撮影することにしました。市江車は伝説で3千年に一度成る桃「西王母」と云われる飾り付けがされていました。
下車は「高砂」です。
堤下車は「碇潜」
米車の「采女」と続いて行きます。今車と筏場車の能人形は角度的に上手く撮影できませんでした。
今度は車楽船を内部を撮影してみることにしました。船内では津島囃子が奏楽されています。
祭の重要な役割を果たすお稚児さんです。
あれこれ車楽船を撮影してみました。写真は米車、ちょうど池端に座席が空いていたので座りながら車楽船からの囃子もゆったりと聞き入ることもできましたよ。(*^^)v。。ここで多くの懐かしい方々とお会いすることもできました。前回の祇園祭でもそうでしたが、世間は広いようで狭いですね。
車楽船が通過していく模様もスマホで撮影してみました。
今車や筏場車も近付いてきました。
市江車は御旅所前に着岸しつつあるようです。水郷の前を通り過ぎた下車、堤下車も随分と遠くに進んだ感じとなって来ています。
少し移動して今車と殿役の筏場車の2艘を撮影してみました。
再び席に戻りました。写真は右から米車、今車、筏場車と続いています。一度に6艘の車楽船を撮影できると良いのですが、なかなか水郷の腕では難しいです。ちょいと残念な感じでした。(;^ω^)。。
そうこう思っているうちに市江車に続いて下車が御旅所へ着岸しようとしていました。
御旅所の隣に移動しました。既に市江車、下車は着岸しています。その他の車楽船も間もなく着岸する状態となって来ています。各車楽船は着岸次第、船から稚児を始めとする祭衆は下船し、御旅所から津島神社へと参拝、祭囃子奏楽に出かけます。
これは3年前の朝祭の様子です。今回は丸池で車楽船撮影に専念していたので、鉾持衆が神社へ向かうところが撮影できませんでした。これは御旅所に安置されている神輿が再び神社へと還る(輿還御)際の先払い、すなわち道を清めるという役割を果たすものです。3番鉾が楼門前の反橋に張られた注連縄を切ることで輿還御が始まります。
再び本日の行事に戻ります。御旅所内では神事が執り行われています。神事終了後、神輿が神社へと還る輿還御が執り行われます。
どうやら神事が終了したようで神官を始めとする方々が道路に出てきました。
神輿を守る先導役の天狗(猿田彦)が登場しました。天狗に気が付くのが遅く慌てて撮影したので、ちょいとピンボケ気味になってしまいました、( ;∀;)。。
神官の先導で神輿がいよいよ神社へと戻ります。先程まで疎らだった道路両側に見物の方々が押し寄せてきています。
こちらもスマホで少し撮影してみました。神輿が登場したところで切れてしまいました。(;^ω^)。。
水郷の前を神輿が担がれるように通過して行きました。とても煌びやかな神輿でした。
続いて市江車の祭衆が通過して行きました。赤い傘に覆われているのはお稚児さん、綺麗な稚児衣装をまとっていました。
その後を津島五車の祭衆が続いて行きました。
延々と行列が続いていましたよ。それにしても凄いですね。
行列が終わったところで迂回し神社へと先回りしました。既に神社境内には神輿が到着していました。見物の方々で賑わっていましたよ。遠くに見える建物は神社楼門です。豊臣秀吉が大政所のために造営したと云われ、国の重要文化財に指定されている建物です。
神輿が再び動き出して反橋を通過していきます。神輿は約500キロほどの重量があるようです。
市江車のお稚児さんが反橋を通過して行きました。見事な稚児衣装、冠は花(華)烏帽子と言われるものだそうです。
市江車に続いて津島五車の祭衆も通過していきました。優雅に感じる一瞬でした。
神社拝殿中では市江車衆による祭囃子が奏楽されていました。拝殿前に茅の輪が設置されていました。水郷も夏病み予防のため茅の輪をくぐることにしましたよ。
最後に神社拝殿で参拝を行い蟹江へ帰ることにしました。写真のように境内はまだまだ見物の方で賑わっていました。
帰りは神社南側から退出することにしました。写真は南門、豊臣秀頼が寄進して建立されたものだと云われています。とても歴史を感じる建物ですね。
再び天王川公園へと戻ってきました。御旅所前に着岸した6艘の車楽船が並んでいました。船内は祭役衆が下船して津島神社へと参拝・奏楽に出かけているのでヒッソリとした雰囲気でした。
近くのお店でラムネでも購入して座りながらゆっくりと車楽船を見物しようと思っていた矢先に職場からの緊急の連絡が入り、駐車場へと急いで帰りました。これが今年の天王祭最後の一枚となりましたよ。駐車場に戻り車内に入ったところで急に雨が降り出しました。幸い水郷は濡れることがありませんでした。これも参拝した御利益だったのでしょうか。まあ物事は良いように考えたいものですね。(;^ω^)。。
蟹江に到着後約30分ほどで仕事を済ませて昼食を摂ることにしましたよ。蟹江町内の「かどふく蟹江店」に入り中華そばを注文しました。和風風味で実に懐かしいお味のラーメン、今回も祭見物の余韻を楽しみながら美味しくいただきました。(*^^)v。。