9月に入り蟹江町特産の白イチジク「蓬莱柿」が旬を迎えています。とても甘味が強くて美味しいイチジク、水郷は食後や風呂上がりのデザートとして美味しくいただいています。(^_-)-☆。。
- 蟹江散策
今週のお昼は外食が多かったです。写真左ですが月曜日は「八宝菜館蟹江IC店」へ入り、味噌ラーメンをいただきました。水曜日は「かつや蟹江IC店」でかつ丼をオーダー、梅でしたが小食の水郷、結構お腹が膨れてしまいました。
木曜日は「濃厚担々麺はなび蟹江店」で濃厚担々麺をオーダーしました。メニュー通りこってりしたお味でしたが、レタスが入っていたので少しクドさが和らぎました。本日の土曜日は外食ではありませんが、久々にチキンラーメンを作ってみました。生卵の他、干しシイタケ、菜園で収穫してきたニンジンや白ネギをトッピングして美味しくいただきました。カップのチキンラーメンも良いですが、生卵やいろんな野菜がトッピングできる袋麺の方が水郷は気に入っています。(*^^)v。。
本日は、早朝から菜園に出かけ水遣り作業を中心に行いました。最近サッパリと雨が降らなくなりました。来月収穫予定の落花生や丹波の黒豆に悪影響を及ぼす可能性もあるのでシッカリと灌水を行いました。菜園では白ネギ「長悦」とキュウリ「シャキット」を収穫してきました。キュウリはこれで最後の収穫となりそうです。
さて、話が戻りますが只今蟹江特産の白イチジクが旬を迎えています。白イチジクとは明治以来蟹江で栽培されてきた在来無花果の「蓬莱柿」を言います。地元では別名「コウライガキ」とも云われてきました。今店頭で主流の西洋種「桝井ドーフィン」が外皮が濃い赤色なのに対して蓬莱柿は薄い赤、もしくは緑色で熟すため「白イチジク」と言われています。ドーフィンよりも一回りほど小振りで、形状は丸い特徴を有しています。甘味がドーフィンよりも強いので、名古屋市場でも「蟹江の白イチジク」として高級果物店や料亭などへ取引されるなど根強い人気があるようです。
伊勢湾台風以後栽培が少なくなりましたが、平成に入り農協や農家の他、商工会など多くの方の努力により再び生産が上昇気味となって来ているとのことです。一度町内の栽培地を訪れてみることにしました。これは町(町商工会?)の試験田です。
蓬莱柿は写真のように樹の背丈が高いのが特徴です。ドーフィンは、管理や収穫に便利なように這うように横へと枝を伸ばしていきますが、蓬莱柿は、横へ伸ばすことが無理なので、このような樹形となる場合が多いようです。
イチジクの収穫は、原則として早朝か夕方に行われるので、水郷が訪れた時間には、収穫適期の物がありませんでした。別のところで見かけた完熟寸前のイチジクの写真でご勘弁願います。v(^^;)。。
少し歩いたところで畑の片隅にイチジクが栽培されていました。自家消費用として栽培しているのでしょうか。水路に面しているのは、湿ったところを好むイチジクにとっては絶好の場所のようです。背丈が低く枝が横に伸びているのでドーフィンでしょうか。
本日地元の農家の方からいただきました。大型で形が細長く皮が赤いのでドーフィンだと思います。
更に移動するとまた葉の形状が異なるイチジクが栽培されていましたよ。これはどうやら出荷用として栽培しているようです。明日くらいに完熟しそうなものがありました。皮は白いので、これも白イチジクのようですが、形状が少し細長いようでした。
写真はホワイトゼノアという品種です。こちらは最近「白イチジク」として栽培されている品種です。蓬莱柿同様、甘味が強いですが、形は細長、皮は硬いのが特徴のようです。生食の他、いろんなスイーツに入れても美味しいようです。確か月曜日に栽培農家の方からいただいたものです。この時期の水郷、例年ちゃっかりといただき物のイチジクを良く賞味させていただいております。v(^^;)。。と言うか蟹江周辺は水郷地帯の低湿地を好む性質からイチジクの大産地となり、かつての蟹江では店頭で売られていませんでした。大産地が故の「イチジクは買ってまで食べるものではない」果物として受け止められていました。
これは家の畑に植えられているか近所の農家の方に貰えばよかったのです。冷蔵庫の無かった昔は、白イチジクを一番美味しいとされる朝にもぎたての物を食べるのがとてもぴったりした舌ざわりがあったようです。ある方の記憶談ですが、「何しろイチジクは葉が大きいので林檎みたいにハッキリと実が見分けにくい。朝熟した実を皆採った筈でも採り残しされているやつがある。これをメノコシ(見残し)と言って、その下を通る人が失敬していくこともある大らかさだ。所有者がいても『一つ貰ってぎゃあも!』と言えば『ええ!食ってちょ!』でどちらも平気なもの。ああそれが世知辛い!一パックいくらで買わなきゃらならい・・・当たり前の話だが。」と大産地蟹江では「イチジクは買ってまで食べるものではない」が普通のようだったようです。
写真は蟹江白イチジク発祥の地である蟹江新町地区にあるイチジク畑です。昭和40年代に編纂された「蟹江町史」によれば、明治30年代に蟹江新町のある農家が、畑に放置されていたイチジクの処分に困り、青物(野菜)の出荷のついでに当時、発展の目覚ましい名古屋の食材を一手に支えていた西枇杷島青果市場へ試しに出荷したところ、予想以上に好評であったことが契機となり順次栽培されるようになったようです。更に大正11年になって油を果実に塗った促成法を導入するなど、商品化のための技術開発や改良も行われて、大正末から昭和10年までにかけて最盛期を迎えたとのことです。当時蟹江町内ではイチジク畑が12haほどあったとされています。
写真は城(旧蟹江本町)地区内にある八百屋さん、現在では旬になると店頭に白イチジクが並んで売られています。当時のイチジク栽培の様子は、旬を迎える9月になると、朝の暗いうちから起きて畑に向かい、イチジクの収穫を始めました。
現在の横へ伸ばす「矮木式栽培」ではなく、上へと伸ばす伸び放題の木ですから丸太で足場を組んで高木に登り、ガサゴソと熟したものを探して腰に結んだ籠に実を入れていたとのことです。少し先が開き青筋の大きな物が上物でしたが、これは出荷され、地元ではほとんど口に入らなかったようですよ。地元の方は口が開いていないもの(市場言葉で「メーツブリ」と言われ敬遠された)か雨で口が開き過ぎて市場に出せないものをもっぱら食べていたとのことです。
上等の物は町内あちこちの仲買人の手で集められ、名古屋市場へと運ばれたとのことです。ある方の記憶では「上等のものは町あちこちの仲買人の手で集められ、名古屋方面へと運ばれていく。私の知っている風景は朝登校時に安楽寺境内で、今川東の方が農家の方から(白イチジクを)買い付けていたことだ。」と述べています。
今は大型スーパーの店頭でも写真のように白イチジク「蓬莱柿」が販売されています。当時名古屋へは蒸気機関車に牽引された一両目の貨車に、イチジクの行商が乗り込んだ「イチジク列車」が運行されていました。最盛期には名古屋市場のみならず関西線経由で大阪市場にも出荷されていました。
同じ店頭でドーフィンは4個で298円、蓬莱柿は11個で1280円で販売されていました。一個当たりドーフィンは70円、蓬莱柿は100円前後とやはり白イチジクは今でもブランドイチジクなんですね。戦中に食糧増産のためイチジク畑はサツマイモ畑に転用されるなど一時出荷が中断される困難な時代もありました。戦後暫くして復活しましたが、次第に同じ愛知県内の三河や知多半島での西洋イチジク「ドーフィン」の大規模栽培に押され、昭和34年の伊勢湾台風を契機に土壌の変化や都市化の進行による耕地面積の減少など蟹江の白イチジク栽培は衰退の方向へと向かいました。
イチジクと記述してきましたが、「いちぢく」と読むのですね。しかしながら「蟹江の白イチジク」としての評判は高く、高級料亭や果物専門店からの引き合いも多く平成の世まで細々と栽培出荷は続けられてはいました。
箱入りの物は蟹江町のマーク(徽章)が印刷されたもので出荷されています。先に述べましたが、10年程前から地元の商工会を始めとする有志が「蟹江の白イチジク」を「町おこし」の素材として目を付け、再び白イチジクの人気が復活して栽培も増えているようですね。
大型スーパに並んだものを購入してきました。水郷一家もこの時期は必ず白イチジクを楽しみにしています。品質が長雨など気象条件に大きく左右される果物なので、十分楽しめることが出来ない年もあり、なかなか気難しい果物ですね。イチジク栽培農家の方も大変だと思います。
一昨日の夜も風呂上がりに白イチジクを美味しくいただきました。やはりこの時期は、これが楽しめないと物足らない感じとなります。白イチジクの旬は、お盆過ぎから10月中頃くらいまでです。梅雨明け時期から収穫の始まる西洋種「ドーフィン」と比べると旬の時期が短いですが、皆様もこの時期、店頭で蟹江の白イチジク「蓬莱柿」を見かけたら是非味わってくださいね。(^_-)-☆。。